縁側の 「逆風って気持ちいい!」

 縁側です、よろしく。首里城周辺をうろついております(^^♪ 言いたい放題させていただくブログです。酒飲みで常識もへったくれもない、常軌を逸した者が綴るブログですから、ムキにならずにお読みください。 ご意見やご批判などはこちら→samy_0363@ezweb.ne.jp

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 韓国との関係が依然として改善されない。極めて「良好」な状態であります(T_T)/~~~
 
 さて、慰安婦を問題化させて諸外国で反日活動に余念のない韓国ですが、ここらで韓国の首根っこを押さえてみてもいいのではないでしょうか。
 
 韓国という国(といえるのか?)は、日本が併合したという恨(ハン)で成立している国です。それが柱。それがなければとたんに崩れていくでしょう。とするとだ、
 
 我が国としては、村山談話をどーのこーのというよりも、「日韓併合は当時の国際社会が積極的に賛意を示し、ぜひ日本に保護してほしい」という国際世論の後押しを受けたものだ、と声明をだしましょう。
 
 そうなれば、慰安婦問題は吹っ飛ぶぞ。米国?米国に日本を叩くリキはねぇよ。東亜安定のための大事な同盟国だぞ。西側では米国に次ぐ経済大国だぞ。この程度、つまり韓国程度の国が元で関係を損なうような愚行を米国はしないよ。バカじゃなけりゃな。日本は、もっと自信を持って米国及び国際社会に発信するべきだ。
 
 韓国との軋轢を国際社会での影響力を強める意味で福に変える絶好のチャンスだと思うけどね。
 
 米国との関係は、韓国ごときで瓦解することはない。

 
 縁側には無条件降伏してしまう曲がある。
 
 なんというか、縁側の人生の真逆の人生を歩んできたのだろうな、と感じさせられるというのか、その感性に脱帽というか、とにかくこの曲は昔から大好きです。宮崎駿作品の主題歌にもなってますね。これっす。
 
 

 
 
 なんというか、この感性すごくないですか?
 
 「カーテンを開いて静かな木漏れ日のやさしさに包まれたなら・・・」、「雨上がりの庭でくちなしの香りのやさしさに包まれたなら・・・」
 
  もう、無条件にこの曲の中の人物に憧れてしまいます。
 
 この曲を聞いてると、韓国もこの曲のやさしさで包んであげたら・・・なんて頓珍漢なことを思ったりします(T_T)/~~~
 
 「風立ちぬ」のヒットで荒井由美が再評価されてもいいのかな。

 
  琉球新報から悪のレッテルを貼られた男がいる。尖閣諸島を管轄する石垣市の教育長である玉津博克氏である。まずはこの記事を読んでくれ。
 

 石垣市教育長、戦争悲惨さの強調は「弊害」 2013年9月20日
 
 【石垣】石垣市教育委員会の玉津博克教育長は19日、石垣市議会一般質問で沖縄における平和教育の在り方について問われ、「平和の尊さを教えるとしながらも、戦争の悲惨さを強調する教育となっている。その教育の弊害は、戦争に対する嫌悪感から派生する思考停止と言える」と述べた。砥板芳行市議への答弁。
 玉津氏は自身が1996年に浦添高校で実施した戦争遺品展で、生徒の一人が「平和教育というよりも、戦争に対する恐怖感の植え付けのように感じる」などと指摘した感想文を書いていたことを紹介し、この感想文を基に平和教育の在り方に疑問を投げ掛けた。
 さらに「現実の社会では平和がいいと言ったところで、戦争は忍び寄ることは世界の歴史が教えている」と主張。「平和教育においては平和の尊さを基本に、どうすれば平和を維持できるか、どうすれば戦争を防げるかという視点から、情報収集力、思考力、判断力、行動力を身に付けさせることを目標に実践されるべきだ」と述べ、平和教育の在り方を点検、確認し、改善する考えを表明した。
 玉津氏が紹介した感想文は、戦争への恐怖感から平和の大切さを導き出す手法を「単純な構造の平和教育」と批判し、「小学校低学年までならそれ(恐怖感の植え付け)でもかまわない。しかし、年齢を重ねるにつれ生徒の理解力も変化し、成長する。平和教育の内容もそれに合わせて変わらないといけない」と主張している。
 
 

 
 彼の主張が真っ当かどうか、いいのか悪いのかは別としても、上の主張は「彼の意見」である。縁側は概ね彼の主張には賛同できる。しかしこのような意見を琉球新報が放置するはずはなかった。「この玉津とかいう、はねっかえり野郎だきゃあ許さん!」とばかりに社説で批判している。紹介しよう。
 

石垣教育長発言 沖縄戦語り部への冒とく 2013年9月21日 
 
 石垣市教育委員会の玉津博克教育長は、沖縄の平和教育の在り方について「戦争の悲惨さを強調する教育となっている。その弊害は戦争に対する嫌悪感から派生する思考停止と言える」と述べた。
 沖縄戦を風化させまいと長年にわたって培われてきた沖縄の平和教育を、「弊害」と決め付け否定する乱暴な発言であり、看過できない。同市議会での答弁であり、用意周到な発言であることがうかがえる。
 68年前の沖縄戦は、地域住民を巻き込み、「ありったけの地獄を集めた」(米軍戦史)と表現される。沖縄における平和教育は、凄惨(せいさん)を極めた沖縄戦の実相と教訓を次世代に語り継ぐと同時に、平和の尊さを学び、この平和を人類が等しく享受できる社会をつくる手だてを考えることに意義がある。
 学校現場では、児童や生徒らが地域のお年寄りから沖縄戦の体験談を聞く機会も多い。激烈な地上戦で肉親や親族を目の前で失い、地域社会が崩壊する経験が悲惨でないはずがない。そうした体験が沖縄で何ら特別ではないことが、むしろ戦争の悲惨さを物語る。
 沖縄における平和教育の原点は、
戦争がいかに悲惨で愚かしいことかを伝えることにあり、弊害などでは決してない。戦争は絶対悪であり、嫌悪感以外にどのような感情を持ち得るのか。玉津氏の発言は、沖縄戦の「語り部」に対する冒とくだ。戦争の悲惨さの継承を「弊害」とする指摘は、全国の戦争体験者に対する冒とくでもある。
 玉津氏は、沖縄の平和教育を「弊害」とした理由に、自身が高校で関わった戦争遺品展に対するある生徒の感想文を挙げた。しかしながら「平和教育の内容が単純化し、戦争に対する恐怖感の植え付けのように感じる」とする1人の生徒の感想だけをもってして、沖縄の平和教育が思考停止をもたらすと決め付けるのは、現在の平和教育を全面否定するための牽強(けんきょう)付会の観を禁じ得ない。
 発言の背景には、玉津氏が主導し、保守色の濃い育鵬社の教科書採択を進めた「八重山教科書問題」に通底する政治的思想が透けて見える。
 議会答弁で玉津氏は「平和教育の在り方を点検、確認し、工夫、改善を加えたい」と述べたが、平和教育に政治的視点での介入は許されず、学校現場に無用な混乱をもたらしてはならない。「弊害」発言を直ちに撤回すべきだ。
 
 

 
もうこの玉津だきゃあ許さんぞ、という憎悪の念が露になった社説であります。
 
>石垣市教育委員会の玉津博克教育長は、沖縄の平和教育の在り方について「戦争の悲惨さを強調する教育となっている。その弊害は戦争に対する嫌悪感から派生する思考停止と言える」と述べた。
 沖縄戦を風化させまいと長年にわたって培われてきた沖縄の平和教育を、「弊害」と決め付け否定する乱暴な発言であり、看過できない。同市議会での答弁であり、用意周到な発言であることがうかがえる。
 
 :もう、のっけから「玉津憎し」が踊っている。さあ、これから玉津をこき下ろしてやる、と思いきや・・・
 
>68年前の沖縄戦は、地域住民を巻き込み、「ありったけの地獄を集めた」(米軍戦史)と表現される。沖縄における平和教育は、凄惨(せいさん)を極めた沖縄戦の実相と教訓を次世代に語り継ぐと同時に、平和の尊さを学び、この平和を人類が等しく享受できる社会をつくる手だてを考えることに意義がある。
 
 :なんだ、玉津氏の意見とおんなじじゃねーか。何が気に入らねーんだ?と思ったら・・・・
 
>沖縄における平和教育の原点は、
戦争がいかに悲惨で愚かしいことかを伝えることにあり、弊害などでは決してない。
 
 :出たよ、印象操作。玉津氏は、戦争の悲惨さを伝えることが弊害などとは言ってない。玉津氏が弊害と言ったのは、「戦争の悲惨さを強調する教育」であり、ここでいう「強調」とは従軍慰安婦を問題化することや、旧日本軍の蛮行、集団自決の強要などなど、史実を捻じ曲げてでも、旧体制を悪と断罪し、戦後平和思想を絶対善としたいとするもの。決して戦争の悲惨さを伝えることを「弊害」とは言っていない。社説で嘘を書くなよ。
 
>戦争は絶対悪であり、嫌悪感以外にどのような感情を持ち得るのか。
 
 :戦争は絶対悪ではありません。嫌悪感以外の感情だって湧いてくることもある。が、ここでは言うのよすわ。
 
>玉津氏の発言は、沖縄戦の「語り部」に対する冒とくだ。戦争の悲惨さの継承を「弊害」とする指摘は、全国の戦争体験者に対する冒とくでもある。
 
 :言いがかりも甚だしい。「語り部」に対し「弊害」なんて言ってない。悲惨さの継承を「弊害」とは言ってない。ボケ!
 
>発言の背景には、玉津氏が主導し、保守色の濃い育鵬社の教科書採択を進めた「八重山教科書問題」に通底する政治的思想が透けて見える。
 
 :この「八重山教科書問題」というのは、話せば長いのでネットで検索してみてくれ。サヨクが忌み嫌う育鵬社版の教科書を教職員組合の影響を排除し八重山地区が「正当な手順」で採択したもんだから、琉球新報はそれを推進した中心人物である石垣市教育長の玉津氏を憎んでるわけね。それにしても濃い保守色ってのは・・・・(T_T)/~~~
 
>議会答弁で玉津氏は「平和教育の在り方を点検、確認し、工夫、改善を加えたい」と述べたが、平和教育に政治的視点での介入は許されず、学校現場に無用な混乱をもたらしてはならない。「弊害」発言を直ちに撤回すべきだ。
 
 :琉球新報がいやらしくて、罪なところは、玉津氏の答弁の一部を都合よく切り取って引用していること。この社説で引用していない部分を含めた全文は、前日の自社記事中にあるのだが、多くの沖縄人は新聞の見出ししかみないからね。もっとも大事な核心部分は無視しなきゃ批判できない。
 
 「現実の社会では平和がいいと言ったところで、戦争は忍び寄ることは世界の歴史が教えている」「平和教育においては平和の尊さを基本に、どうすれば平和を維持できるか、どうすれば戦争を防げるかという視点から、情報収集力、思考力、判断力、行動力を身に付けさせることを目標に実践されるべきだ」
 
 という玉津氏の意見は社説で批判するのに都合が悪すぎるわけだ。よって「弊害」にスポットをあてての批判に終始する。ん~~~、さすが琉球新報。フツーの人が読めば「左翼活動家の言いがかり」としてしか読めんものを社説で掲載できるんだからすごいと思う。
 
 それとね、発言を撤回せよ!ってさ、何度も言うようだが、「彼の主張」は撤回せよと言ってはいかんのだよ。これ、民主主義の原点ね、覚えとけ!
 

 
 今日のエントリーは沖縄県民向けであります。極めてローカルな話題。
 
 琉球新報のこの記事を読んでくれ。
 
 沖縄総合事務局、那覇空港滑走路増設で埋め立て承認申請書提出2013年9月20日

 
 内閣府沖縄総合事務局は20日、那覇空港滑走路増設に向けた埋め立て承認申請書を県南部土木事務所に提出した。同日午前中に那覇港管理組合にも提出する。同土木事務所と県土木建築部海岸防災課が書類がそろっているかや誤字・脱字などを確認する形式審査をした後、同海岸防災課が内容審査を行い、工事公告を10月中旬から実施する予定。工事は来年1月初旬から中旬にかけて着工し、2019年末に完成する見通し。工期は実質5年10カ月。
 同事務局の藤澤友晴空港整備課長が20日午前10時半ごろ、那覇市の南部土木事務所で埋め立て承認申請書1セット3冊(約4千ページ)の5組を喜屋武忠南部土木事務所長に手渡した。
 滑走路は2700メートル、埋め立て面積は約160ヘクタール、埋め立て土量は約991万平方メートルとなっている。
 

 
 一昨日の記事です。
 
 この記事を読んで、あらためて「埋め立て反対の意見はねーのか?」と調べてみた。すると、なんと環境団体、市民団体からの抗議や反対の声はまったく上がっていない。いちおう琉球新報側にも問い合わせてみたが、やはり反対の声はどこからも上がっていないことが確認できた。
 
 普天間飛行場移設に伴う辺野古埋め立てに関してあれだけ大騒ぎを起こして、「ジュゴンの生息する海を壊すな!」 「次世代に美しい海を残せ!」などと、ほざいていた(失礼)連中は、上の記事を見ていないのだろうか(T_T)/~~~
 
 ちなみに那覇空港滑走路増設予定地は、辺野古に勝るとも劣らない美しい海です。生物の生息数や藻場の大きさなどは那覇の方が多大でしょう。
 
 辺野古の藻場なんて那覇の藻場の広大さに比べれば猫の額ほどもない。那覇のそれはグリーンカーペットとでも言おうか、それはそれは美しいものですよ。
 
 
     こーいう連中はいったい何がしたいんだろうねー。基地闘争ならそのように書けばいいのに・・・(T_T)/~~~
 
 ついでといっては何ですが、琉球新報社の立ち位置としては、辺野古埋め立ては米軍基地建設だからダメ。那覇の滑走路埋め立ては、経済振興だから良し。と明言しております。社会部の担当者はこう言った「県議会も概ね埋め立て賛成ですから民意は賛成です」とね。まぁそれはそうだろう。しかし唯一埋め立てに反対の姿勢を崩さない政党があります。唯我独尊、常にブレないそのお姿には後光がさしているようであります。そうです、光輝く我らが日本共産党であります(T_T)/~~~
 
 
 追記:辺野古埋め立ての環境影響評価(アセスメント)書の提出を妨害した市民団体は今後二度と「環境」について何も言う資格はないでしょう。防衛施設局が県庁へ辺野古の環境影響評価書を深夜の裏通用口から搬入し提出したことは県民の記憶に新しいはず。日本共産党以外、辺野古移設反対の立場で「環境」について語る者は二枚舌とこき下ろすべきでしょうね。
 

 
 そろそろ夏も終わりに近づいてきた感のある今日この頃です。
 
 次は秋。秋といえば、そう読書。読書の秋なんて言葉、よく考えたら変な言葉だ。本読むのに秋がいい、なんてね。
 
 縁側は今、読む側から書く側について興味を持ってたりする。
 
 大雑把だけれど、構想みたいなものはあるんだ。
 
 ここで言っちゃうか。
 
 時は、西暦20××年。日本は、少子高齢化が加速し、経済規模は縮小。年金制度は崩壊。すでに先進国としての矜持もズタズタ。先細り国家として存在するしかなかった。
 
 そこで、時の政権が苦慮の末たどり着いた制度が、「高福祉、脱少子化政策」
 
 高齢者に手厚く、少子化に歯止めをかける手段として、「子供をつくっても子育ていらず策」を法制化。つまり、子供は、どのようなカタチであれ、出産すればその子は「国の宝」。国家が育てていくというもの。一般の夫婦の間に生まれようが、強姦された結果生まれようが、すべての子は国が親となり、親元から引き離して、「子供エリア」にて18歳まで過ごす。そこで生活する国の子たちには実の親を教えない。これは大人ににもそうだ。つまり「誰の子」という概念自体を消し去ったということ。その子供エリアで教育を受け生活していた子供は19歳になってようやく「実社会エリア」に移り社会人として生活していく。教育も子育てもすべてが国家によることから、「大人」は教育や子育ての手間を省ける社会。老後も安心の社会。そこで高率の税金がかけられる。国家の宝である子供たちの生活費等をすべて税金でまかなうわけだから当然だ。そして、高福祉策による安定した年金制度。「大人」は未来に対して何の不安も感じることなく生活していける。そんな社会のお話だ。
 
 主人公の縁側は一人の男の子を授かったが、法律により出産後すぐに国家子供管理センターの者らにわが子を連れて行かれる。皆そうしているのだから仕方がない。縁側はそのことになんのわだかまりもなく妻とともに幸せな生活を送っていく。
 
 それから数年後のこと、縁側の会社は子供エリアのコンピュータシステムを一手に引き受ける大手IT企業である。縁側の勤める会社が納品している子供エリア内のコンピュータシステムの保守点検のため子供エリアに。子供エリアでの子供との接触は禁止されているのだが、偶然そこで生活する子供数人と接触する。同僚から「あの男の子お前にクリソツじゃね?」の一言。そしてその子の腕には見覚えのあるアザ。出産してすぐに引き離されたわが子にも似たようなアザが・・。
 それから縁側はわが子に対する思いが募っていく。
 国家機密のシステムへの不正アクセスである事実にたどりつく。そこで高福祉をうたう国家の嘘と犯罪が明らかになる。
 
 とまぁ、こんな話だな。なんか、いままでの小説の一部を切り取ってつないだ話だ、という声が聞こえてきそうだが無視するぞ(T_T)/~~~ きっといいものになる。
 
 10年後くらいに完成予定・・・・・・・・<(_ _)>
 

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