縁側の 「逆風って気持ちいい!」

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カテゴリ: 集団自決


 新年早々、酒びたりの毎日で、かったるくてPCの画面を見るのも億劫になっておりましたが、どうにか正月ボケも完治したようで・・・。もっとも年中ボケてるとのご指摘は数知れず・・(-_-;)

  1月30日付けの沖縄タイムス社会面に興味深い記事が掲載されましたのでご紹介します。もっともこれは沖縄ローカルの内容ですが。

  
     県P連・沖子連 脱退へ 「軍命」記述復活 実現させる会
 日本史教科書の沖縄戦「集団自決(強制集団死)」について「軍命」「強制」記述の復活を求めてきた「9・29県民大会決議を実現させる会」(玉寄哲永世話役)の構成団体、県PTA連合会(県P連)と県こども会育成連絡協議会(沖子連)が29日、3月中に脱退する意向を示した。
  実現させる会は、2007年9月29日に開かれた「教科書検定意見撤回を求める県民大会」実行委員会の呼び掛け団体、県青年団協議会、県老人クラブ連合会、県婦人連合会、県高校PTA連合会、県P連、沖子連の7団体で構成している。
  県P連の伊敷猛会長は、会員が実現させる会への加入に賛成していないことを説明した上で、「政治的な話も出ていることなどもあり、組織としてこの問題に取り組まないことを役員会で決めた。今後は、純粋に子どもたちのためだけに動きたい」と説明した。
  沖子連の饒平名知敬会長は、「26日の代表者会議で3月いっぱいで脱退することが決まった」と説明。「政治的なことを話し合う会と子ども会が一緒に活動するのは、場違いだとする市町村の担当者からの苦情が多かった。小学生に軍命があった、なかったとの話をするのは、子どもを困らせる」と述べた。
  玉寄世話役は「3月まで県P連、沖子連と話し合いをしていきたい」と話した。(引用おわり)


   ものがわかる人ってのはいるもんなんだね。これまで、バカなことを平気で行ってきた連中に嫌気がさして、正常な活動に戻したい、とする人が増えたんだろーね。いや愉快、愉快( ̄ー ̄)ニヤリッ 

   うえの記事の県民大会とは、いわゆる11万人集会といわれているバカ丸出しの集会で、実際には2万もいなかったという大嘘集会でした。国や県、市町村の労組や教職員組合が先導し、それに乗っかったのが上記記事の7団体だったわけ。そん中の2団体が脱退するわけですから、これがこの、「いかがわしい会」の崩壊の序曲と見て間違いないだろう。

    >県P連の伊敷猛会長は、会員が実現させる会への加入に賛成していないことを説明した上で、「政治的な話も出ていることなどもあり、組織としてこの問題に取り組まないことを役員会で決めた。今後は、純粋に子どもたちのためだけに動きたい」と説明した。

     :まっ、当然だな。気付くのが遅いが、まぁよしとしよう。

    >沖子連の饒平名知敬会長は、「26日の代表者会議で3月いっぱいで脱退することが決まった」と説明。「政治的なことを話し合う会と子ども会が一緒に活動するのは、場違いだとする市町村の担当者からの苦情が多かった。小学生に軍命があった、なかったとの話をするのは、子どもを困らせる」と述べた。

     :これまた当然ですね。市町村から活動費出てるんだろーから、それを特定のイデオロギーで政治活動したい連中とツルむわけにはいかねーだろーな。

   県の教育委員よかマシな判断ができるじゃねーのヽ(TдT)ノ

  
    >玉寄世話役は「3月まで県P連、沖子連と話し合いをしていきたい」と話した。

     :往生際の悪いじじいだよな。この玉寄(たまよせ)ってじじぃが去年勇退したことで、今までこのじじぃに遠慮してた者らが事実上の放逐に乗り出したのだろう。ちなみに玉寄翁とはこんな人です。

     http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-215106-storytopic-1.html

   縁側から見て大変恐縮だが、「老害が過ぎた」よ。 もういいよ戦争の悲惨さは。

  とにもかくにも、少しずつですが、沖縄も「基準値」に向けて動きだしそうな感じです。
   
  
  

 
昨日の琉球新報社会面の記事です。まずは読んでみてね。
 
高嶋教授ら見直し要請へ 歴博「軍関与」記述削除
 
【千葉】沖縄戦の「集団自決」(強制集団死)の展示表記から日本軍関与を削除したとして問題化している国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市、平川南館長)を9日、琉球大学の高嶋伸欣名誉教授らが視察した。軍関与の表記については、歴博側で見直しに向け、委員会審議が進んでいるが、高嶋名誉教授は12日に安田常雄副館長と面会し、あらためて早期の見直し実現を求める。同時に「日米安保条約と米軍基地」のパネル展示についても不適切な表記があるとしてより正確な表記にするよう改善を求める。
 視察したのは、大江・岩波訴訟を支援する教師ら10人と高嶋名誉教授ら。高嶋氏は日本軍関与の表記が復活する方向にあることを踏まえ「戦場の民間人」の展示で「住民虐殺の視点も欠くことができず、書き残されなくてはならない」と話し、12日の面会で追加展示を求める考えを話した。
 また「日米安全保障条約と米軍基地」のパネル展示で、日本の施政権が分離された1952年のサンフランシスコ平和条約の記載が「あまりに簡易」と指摘。「米国の沖縄統治は暫定措置だったが、期限を明確に設定せず、日本政府は米軍統治に暗黙の了解を与えた。県民は虫けら状態で20年間も放置された。正常な外交妥結との印象を与えかねず、詳細、明確な表記をお願いしたい」と話した。
 日本と沖縄の米軍基地配備のグラフでも、日本側がほぼ最大配備時の1952年時点に対し、沖縄側が2003年の状況を図示していることは「比較対象で日本側にも、これだけの基地が配備されていると誤解を招きかねず、ちぐはぐな記載。その後、日本からどれだけ沖縄へ移転されたのか明確でなく、配慮が足りない」とより正確な展示表記を求める考えを示した。(引用おわり)
 
 
いかがでしょうか。この琉球大学の高嶋名誉教授ってさー、神奈川で社会の教員時代は、家永のじーさんと共に教科書叩きしてたんだよね、たしか。沖縄にきたら、集団自決関連で教科書叩き。今度は、歴史博物館にケチつけてる。何様なんだこいつは。
 
>視察したのは、大江・岩波訴訟を支援する教師ら10人と高嶋名誉教授ら。
 
 :ははーん。なるほどね。
 
>「戦場の民間人」の展示で「住民虐殺の視点も欠くことができず、書き残されなくてはならない」と話し、12日の面会で追加展示を求める考えを話した。
 
 :すごい執念ですね。何が彼をここまで突き動かすのだろう。思わず悪寒が走ります。歴博の方もホント迷惑してると思うよ。
 
>また「日米安全保障条約と米軍基地」のパネル展示で、日本の施政権が分離された1952年のサンフランシスコ平和条約の記載が「あまりに簡易」と指摘。
 
 :うん。ここは確かに現在の日本の状況を作り出した分岐点といえるわけだから、スペースの面で難しいかもしれんが、詳細に説明してほしいな。ところが、彼の視点は・・・。
 
>。「米国の沖縄統治は暫定措置だったが、期限を明確に設定せず、日本政府は米軍統治に暗黙の了解を与えた。県民は虫けら状態で20年間も放置された。正常な外交妥結との印象を与えかねず、詳細、明確な表記をお願いしたい」と話した。
 
 :そこかい(T_T)/~~~。正常な外交妥結ってさー。戦争に負けたの知らないで、社会の先生やってんのかね?負けた国はやりたい放題やられるんだよ、先生!憶えとけ!
 それにしてもこのおっさん、県民は虫けら状態で20年間も放置って、恐ろしく嫌な言葉を平気でお使いになるのね。心の中の獣性が垣間見えるわ。
 
>日本と沖縄の米軍基地配備のグラフでも、日本側がほぼ最大配備時の1952年時点に対し、沖縄側が2003年の状況を図示していることは「比較対象で日本側にも、これだけの基地が配備されていると誤解を招きかねず、ちぐはぐな記載。その後、日本からどれだけ沖縄へ移転されたのか明確でなく、配慮が足りない」
 
 :何を言ってんだか。このおっさんが言いたいことは、「沖縄の基地負担はでっかいんだぞ~」ということを強調せよ。と言ってるわけね。そしてこのおっさんもやっぱり、「日本側」と「沖縄側」という口調で、本音のとこで沖縄を日本から分離させたい琉球新報や極左組織と同じ方向性で思考なさっている。
 
毎日、毎日こんな記事(でっかい記事ですよ)を見せられるんだから、アタマがおかしくなったとしても不思議ではない。東京から移住してきた人でも、数年沖縄にいて帰京すると、大手の新聞の論調が異常に見えるというから、その洗脳工作の成果たるや、ものすごく、それこそ何代にも渡って悪影響がでかねない。
 
誇張ではなく、毎日こんな記事なのですよ、ホント!異常行動する者(無意味な県民大会のような)が多く出てくるわけです。
 
ちなみに、来る16日には、普天間基地包囲網ということで、基地を「人間の鎖」で包囲するという、閏年のように数年に一度はあるイベントが挙行されますが、それは来週ご紹介します。


 

今朝の琉球新報です。
 
教科書記述で要請 県民大会実委、民主に
 
9・29県民大会を実現させる会世話人の玉寄哲永さんらは15日、県議会会派室に民主党沖縄県総支部連合会の新垣安弘幹事長を訪ね、新政権誕生を機に、高校日本史教科書の沖縄戦における「集団自決(強制集団死)」に関する文部科学省の教科書検定意見の撤回と軍強制の記述回復が実現できるよう、党本部への働き掛けを要請した。新垣幹事長は「しっかりと党本部へ伝え、(県選出国会議員でつくる)うるの会も一緒に要請したい。文科省の審議会では十分な審議がなされていない。政治の分野から直すところは、しっかり直さないといけない」と語った。
 実現させる会は同日、県庁で記者会見し、29日午後6時から県庁前広場で開く「9・29県民大会決議を実現させる県民集会」への参加を呼び掛けた。(引用おわり)
 
 
すごいですね~。政治圧力かけて教科書記述変えるらしい。民主党が政権取ったわけだから、与党に対して検定意見撤回と軍強制を求めるわけで、「文科省に政治圧力かけて軍強制と検定意見撤回しろ!」と言ってるわけです。
 
こんなとんでもないことする人々に県内の新聞はオールスルー。
すごいね、しかし・・・。9月29日はぜひ見学にいき、どんなボケ連中が来てるのか確認しなきゃね。
 
追記:それにしても、「政治の分野から直すところはしっかり直さないといけない」って、鳥肌モンなんですが、県民の皆さん平気なのかね?
軍靴の足音が聞こえ、物言えぬ空気のこわばりを肌で感じている縁側です(T_T)/~~~
とりあえず琉球新報社会部には、ファシズム台頭の予感を吐露しちゃったけど・・(^^♪
 
 
 

久々に集団自決関連の記事を。
 
本日の沖縄タイムスに渡嘉敷島の集団自決の生き証人と一応はいわれている(実際は単にたくさん殺した人なのだが)金城重明氏(80)が言いたい放題の講演会を開いている。以下転載。
 
「集団自決」実相 学生たちに語る キリ学 金城重明さん
 
 沖縄戦時の渡嘉敷島で「集団自決(強制集団死)」を体験した、金城重明さん(80)を招いた講演会が、11日、沖縄キリスト教学院大学で行われた。 (中略)
 金城さんは、沖縄本島上陸前になぜ米軍が慶良間諸島に上陸したか、当時天皇は神であると教えられ「天皇のために死ぬのは名誉」とたたき込まれていたこと、米軍上陸の1週間ほど前には通常では民間人の手に渡ってはいけない手りゅう弾が役場の男子職員に手渡されたことなどを説明。それから渡嘉敷島に米軍が上陸したあと、どのように人々が集められ、命令が伝わり「集団自決」が行われたか、話した。金城さんは、「殺そうとしてやったのではない。生き残ることが恐ろしかった。愛情ゆえのこと。軍の命令で追い込まれていった」と戦後64年苦しみ続けていることをゆっくりと語った。
 学生たちは、静まりかえって聴き入り、涙を浮かべる者もいた。
 上原志野さん(保育課1年)は、「資料を調べる中で軍命はなかったとするものも多く自分の中で混乱していた。お話をあらためてうかがい、「軍命はあった」とあらためて思った。自分でいろいろ調べた後で聴くと重みが全然違う」と、感想を話した。
                               (転載おわり)
 
う~ん。金城氏、80歳にもなってまだまだ大嘘吐き通すつもりのご様子。まぁ死ぬまで改心することはねーな。世間ではこーいう人間のことを「人でなし」というのですが・・。このじーさんの犯した罪については、SAPIOの「ゴー宣」をご覧になれば一目瞭然です。あるいは、沖縄在住の狼魔人氏の「狼魔人日記」が詳しいです。
http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925?sess=95ee2fa27e56b4f0c6c4991e53f0d61a
 
記事に戻るが、
沖縄本島上陸前になぜ米軍が慶良間諸島に上陸したか?
 
:特攻艇の部隊がいることバレバレだったからさ。
 
米軍上陸の1週間ほど前には通常では民間人の手に渡ってはいけない手りゅう弾が役場の男子職員に手渡されたこと?
 
:防衛隊(地元の人間)だろ?兵役経験者だよ。
 
渡嘉敷島に米軍が上陸したあと、どのように人々が集められ、命令が伝わり「集団自決」が行われたか?
 
:地元の人間同士で集まって地元の人間同士で自決したのです。軍命?アホか!
 
金城さんは、「殺そうとしてやったのではない。生き残ることが恐ろしかった。愛情ゆえのこと。軍の命令で追い込まれていった」と戦後64年苦しみ続けていることをゆっくりと語った。
 
:いーや、殺意満々ですよ。愛情ゆえ?家族以外の人間も多数殺しておいてよく言うぜ。軍の命令で追い込まれていった?はぁ~、日本語の理解が遅すぎだぞ、金城翁よ。80だろ?大学の名誉教授だったんだろ?生き残ることが恐かった→愛情ゆえ→軍の命令で追い込まれた・・・・・。このじーさんボケてんじゃねーのか?
ところが、聴講した学生は「命令はあったとあらためて思った」だとさ。話し手もアホなら聴き手もドアホ。こいつらには思考力がないのかね?
 
このじーさんや過去にエントリーした宮城晴美などのせいで、「屠殺者」と呼ばれ、不遇のうちに人生を終えてしまった赤松氏。また現在90歳を超えても真実をはっきりさせるまで死ねないと頑張っている梅澤氏。言葉にならない辛いことも多々あったはずだよな。この金城は牧師だよ。大嘘つきで、人に罪をなすりつけ、それを語り続けている最低の人間が牧師なのです。
 
キリスト教徒の皆さん!同じ信者に人でなしがいるのですぞ。恥をしりなさい。
 
 

間を空けてしまいごめんなさい。最終回です。
 
検証「集団自決」 ジェンダーの視点から
 
「玉砕」命令は、日本軍からもたらされたものだった。その結果、駐留する日本軍に最も隷属し、住民と軍をつないだ村の幹部や学校長ら指導者層は、住民を「死」へ誘導するメッセンジャーの役割を果たすとともに、率先して「軍命」を履行した。もちろん、座間味島の頂点に位置する日本軍の守備隊長(戦隊長)が自決することはなかった。
 こうした階層秩序による「力」の作用は、女性、子どもに大きな犠牲をもたらした。とりわけ、父親と子どもの関係は痛ましい。
 Bの防空壕では、先に子どもを死なせた男性が、「子どもたちに父ちゃんも一緒だと約束したから、自分も死なせてくれ」と「自決」の幇助を頼んだ事例、Dで亡くなった男性は「死」を決して忠魂碑に向かう前、子供たちを抱きかかえて「お父さんも一緒だから恐くないよ」と言い含め、Fの壕では男児が叔父に手をかけられる直前、「お父さんの所に行く」と防衛隊に参加している父親を求めて泣き叫んでいたこと、Hの壕では父親に首を切られた11歳の男児が、息を引き取りながら「お父さん」と最期の言葉を発したなど、「死」を理解できない子どもたちに、「父親が一緒だから」と説得したという証言は多い。
 その底流には,「強い父親」と子どもの信頼関係、そして家族間の主従関係が横たわっていた。
 「敵の手にかかるよりは自分の手で」と、家族を守らんとする家父長制下の父親役割と子どもたちのこうした規範が、戦時下ではかくも残酷に国家権力に利用されたのである。
 
 私は、これまであえて「集団自決」という用語で、座間味島で起きた戦時下の事件について書いてきた。1970年代に聞き取り調査をはじめた当初は、住民の証言は「玉砕」だった。ところが、1953年3月28日付の渡嘉敷村遺族会が出した「慶良間列島渡嘉敷島の戦闘概要」では、すでに、玉砕、自決、集団自決の表記がなされており、また座間味村役場の文書である「座間味戦記」でも、同様に玉砕と自決が入り交じっている。
 はじめて「集団自決」の用語が使われたのは、沖縄タイムス社の「鉄の暴風」(1950年)といわれるが、なぜ住民証言の「玉砕」ではなく、「自決」を使用したのか、「集団自決」を造語したという太田良博氏からその説明はなかったと思う。
 「集団自決」の証言者は、ほとんどが「玉砕」を使用する女性たちだった。その証言を公文書に記録したのは、戦後復員してきた男性たちである。昭和18年のアッツ島における日本軍全滅を糊塗するため、大本営が国民向けに使いだした「玉砕」という軍隊用語を、それまで関係ないと思っていた座間味島の住民も、米軍上陸前夜の昭和20年3月25日夜から、自分自身にふりかかった「死の強要」として受けとめるようになった。ただ、住民の表現する「玉砕」という用語は、自分自身では死ねないので「みんなと一緒に」という、表象的で受動的な意味合いが強い。
 それに対して、「自決」は、武士道の「ハラキリ思想」に通じる。「男らしさ」を象徴するこの武士道こそ、男性には、敵への投降が許されず軍の命令に忠実であることが求められたものだった。したがって、軍隊を経験した座間味・渡嘉敷島の男性たちが、女性たちの「玉砕」証言を記録する際、軍隊の価値観で「自決」「集団自決」と記したことが考えられる。
 新渡戸稲造は、その著書「武士道」において、「女子の武器に頼りて其貞潔(貞操)を守るに切なるは、男子の其君主を護るに似たり」といい、女性が貞操を守ることは命にも勝ると説いた。武士道の論理でいえば、「慰安婦」とは違う「淑女」としての女性たちは、敵に捕まり強姦されると、共同体社会の中で生きていくこと自体許されなかったのである。
 こうしたジェンダー役割に規定され、国家の犠牲にされた住民の体験の記憶は、証言する過程において「玉砕」、後に「集団自決」という用語で表現され、それを私たちは記録してきた。しかしながら、「集団自決」という用語が、国レベルで「崇高なる犠牲的精神の発露」として美化されたり、軍人用語だから住民には使えないなど、さまざまな問題点が指摘されだした。そして「集団自決」に対する用語として、すぐれた沖縄戦研究者によって「強制集団死」という言葉の使用が提唱されている。
 
 それでも私が「集団自決」にこだわる大きな理由は、つらい思いをこらえながら自分や親族の体験を話してくれた座間味村民の用語として敬意を払いたいことと、座間味・渡嘉敷村の近現代史に必要不可欠の用語になっているということである。ほとんどの方が故人になったが、現在でも生き残りの方々は、「集団自決」を証言する。その人たちがいま最も懸念していることは、「靖国」を賛美する人たちによって、「集団自決」の悲惨さが美化されだしたことや、援護法適用のために「集団自決」の軍命が「方便」であったとして、元戦隊長らを擁護する動きが出ていることである。
 住民の心に負った傷口をさらに鋭利な刃物でえぐるようなこうした言動があればこそ、告発の意味を含めて、弱者の視点から「集団自決」を記録し、継承することが、体験者のⅡ世、Ⅲ世、そして戦後世代の大きな役割だと思っている。(沖縄女性史家)
 
 

以上です。この女性史家へ言いたいことはコメント欄へどーぞ。
 
間を開けてすいませんでした。<(_ _)>

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