縁側の 「逆風って気持ちいい!」

 縁側です、よろしく。首里城周辺をうろついております(^^♪ 言いたい放題させていただくブログです。酒飲みで常識もへったくれもない、常軌を逸した者が綴るブログですから、ムキにならずにお読みください。 ご意見やご批判などはこちら→samy_0363@ezweb.ne.jp

2013年09月

 
 朝から飲んでて、さっき目覚めた(T_T)/~~~
 
 何気なく琉球新報のコラムに目を通してたらまたバカなこと書いてるので紹介したい。
 
 <金口木舌>歌う自由、歌わない自由
 
 「卒業式で教員全員をビデオ撮影する人がいる。報道関係者なのか」。1999年の国旗国歌法の施行後、那覇市内の県立高校の校長からこんな電話があったことを記憶している
 ▼職員が君が代を歌っているか確かめている様子だという。次の入学式を待ったが、撮影者は現れなかった。そんな古い話を思い出したのは、大阪府教育委員会の「通達」がきっかけだ
 ▼入学・卒業式で教職員が国歌斉唱しているか、管理職が確認するよう府教委が全府立学校に求めた。根拠は公立学校の教職員に日の丸掲揚、君が代斉唱を義務付けた大阪府条例だ
 ▼管理職による教師の監視強化とは尋常ではない。「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」という憲法の条文が、大阪府条例の前では色あせて見える
 ▼国旗国歌法を審議した99年7月の参院本会議で小渕恵三首相(当時)は「(掲揚、斉唱とも)義務付けは考えておりません」と答えている。法の制定過程を振り返ってみても、大阪の動きは突出し、異様だ
 ▼大阪府教育長のブログを読むと、「自分で“思考”する教育(正解が一つでない問題に触れる機会を増やす教育)」が理想とある。しかし、その理想と教師への監視強化は不釣り合いではないか。生徒に「思想の自由より権力への従属」が大切と誤ったメッセージを送り、晴れやかな門出を汚す愚は避けたい。
 

 
 これを読んで、琉球新報のコラム書いてる人って、「ホントは何も知らない人」、つまり、縁側みたいなひとなんじゃねーの?って思ってしまいました。
 
 >▼管理職による教師の監視強化とは尋常ではない。「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」という憲法の条文が、大阪府条例の前では色あせて見える
 
   :なるほど、思想及び良心の自由から、歌わなくてもいいんだ、と言いたい訳だ。アホか!思想の自由に抵触するってのは、「歌いたくないという考え方自体許さん」とするもの。そこまでは言ってないんだよ、条例では。そりゃそうだよ、そこまでいうと憲法に抵触する。なんの問題もない条例だよ。それにね、監視強化ってさ、式典で国歌斉唱時に、教職員ひとりひとりに小型ボイスレコーダーを携帯させるなんて言ってないよな。あるいは、ひとりひとりに監視員を配置するわけでもねーだろよ。「通達」でしょ?そりゃあ、あーた、司会者が「国歌斉唱」って言ってんのに教職員が起立しない、歌わないじゃ式典ぶち壊しだし、それを子供たちに見せるわけにはいかねーだろよ、革マル派のウンコたれ!
 
 
 > ▼国旗国歌法を審議した99年7月の参院本会議で小渕恵三首相(当時)は「(掲揚、斉唱とも)義務付けは考えておりません」と答えている。法の制定過程を振り返ってみても、大阪の動きは突出し、異様だ
 
   :今回の通達は教職員に対してであって、式典出席者一同つまり保護者の方や子供たちは通達の対象外でしょう。なにが、「大阪の動きは異様だ」だよ。このコラムの異様さがわからねーか?って書いた本人はわかるわきゃねぇわな(T_T)/~~~
 
 >▼大阪府教育長のブログを読むと、「自分で“思考”する教育(正解が一つでない問題に触れる機会を増やす教育)」が理想とある。しかし、その理想と教師への監視強化は不釣り合いではないか。
 
 :あのね、ホント琉球新報って会社はバカしかいねーのかよ。今回の通達は大阪府議会で法制化した条例に基づくのよ。府民の代表が決めた、つまり府民が決めたことが形骸化しちゃったらだめじゃん。だからその条例を受けて、行政側、教育行政のトップである大阪府教育長の名で府立の学校へ通達を出した、ということだ。教育長の教育に対する姿勢等とは何の関係もありましぇん。なにが不釣合いだ、ボケ!不釣合いなのは、おめーの職務と職能なんだよ、気づけドアホ!
 
 >生徒に「思想の自由より権力への従属」が大切と誤ったメッセージを送り、晴れやかな門出を汚す愚は避けたい。
 
  :ははははははははははは、もう最後のこの言葉でギャグコラム認定!でもさ、ホントはこう書きたかったんだろ?
 
 生徒に「みんなで決めたルールよりアナーキズムへの思慕」が大切と正しいメッセージを送り、晴れやかな門出を祝いたい。(T_T)/~~~
 

 
 縁側には無条件降伏してしまう曲がある。
 
 なんというか、縁側の人生の真逆の人生を歩んできたのだろうな、と感じさせられるというのか、その感性に脱帽というか、とにかくこの曲は昔から大好きです。宮崎駿作品の主題歌にもなってますね。これっす。
 
 

 
 
 なんというか、この感性すごくないですか?
 
 「カーテンを開いて静かな木漏れ日のやさしさに包まれたなら・・・」、「雨上がりの庭でくちなしの香りのやさしさに包まれたなら・・・」
 
  もう、無条件にこの曲の中の人物に憧れてしまいます。
 
 この曲を聞いてると、韓国もこの曲のやさしさで包んであげたら・・・なんて頓珍漢なことを思ったりします(T_T)/~~~
 
 「風立ちぬ」のヒットで荒井由美が再評価されてもいいのかな。

 
 これから紹介する琉球新報のコラム「金口木舌」は全国の人に読んでもらいたい。以下紹介します。
 
 <金口木舌>古里へのエール
 
 1月のオスプレイ配備反対東京集会の後、参加者から漏れたのは困惑とやりきれなさだった。「米軍基地の負担を我慢してきた沖縄に向かって売国奴、スパイと言うなんて」
 ▼沿道に参加者を口汚くののしる団体がいた。なぜ沖縄がヘイトスピーチの対象となったか。ジャーナリストの安田浩一さんは「日本社会の中にある沖縄差別の表れ」とみる
 ▼安田さんは、ネット右翼などと呼ばれる「在日特権を許さない市民の会」(在特会)の実態を著書「ネットと愛国」で描いた。オスプレイ配備反対の東京行動も沿道で取材した
 ▼安田さんの見方に、そうかとふに落ちる感覚もあるが、正直涙も出る。基地を押し付けても沖縄なら構わない、沖縄ごときが国策に反対するのは許せない。その構造的な差別意識が日本社会に深くあることに
 ▼先日の全国沖縄県人会交流会で「構造的差別」に怒りの声が上がった。ある県人会長は言う。「本土で議会や市町村長や知事が反対すれば、国は絶対オスプレイを配備しないと思う。沖縄ならいいのか」
 ▼沖縄人として日本のマイノリティー(少数派)の立場を身に染みて感じてきた先輩たちだ。2世、3世であってもふるさとへの思いは強い。「基地撤去を願う県民と行動を共にする」という力強いアピール。基地を押し付ける国策にノーを言う沖縄にとって、大きな支えになってくれるだろう。
 

 
  皆さんは読んでどういう感想をお持ちでしょうか。
 
 縁側にはこれを書いた人が、何を読者に言いたいのか、伝えたいのか、マジでわからない。
 
 >。「米軍基地の負担を我慢してきた沖縄に向かって売国奴、スパイと言うなんて」
 
  :緊迫する尖閣、南シナ海での暴挙などからわかる人民解放軍との対峙。オスプレイ配備反対を叫ぶ連中に反感を持つのはまぁあることなのでしょうが・・・。 ムキになることもないかな。  
 
 >安田さんの見方に、そうかとふに落ちる感覚もあるが、正直涙も出る。基地を押し付けても沖縄なら構わない、沖縄ごときが国策に反対するのは許せない。その構造的な差別意識が日本社会に深くあることに
 
 :う~ん、「沖縄なら構わない」や「沖縄ごときが」なんて、誰が言ってるのでしょう。このコラム書いた者が勝手に言ってるだけじゃねーか。もしかしたら、そのように思ってる日本人もいるかもしれない。でも声を上げてはいないと思うけどね。思うのは自由だし。
 それよりなにより「その構造的差別意識」って何?まったくわからない。答えを見つける一助になりそうなのが次の文。
 
 >先日の全国沖縄県人会交流会で「構造的差別」に怒りの声が上がった。ある県人会長は言う。「本土で議会や市町村長や知事が反対すれば、国は絶対オスプレイを配備しないと思う。沖縄ならいいのか」
 
 :なるほど。この県人会長さんは、日本がオスプレイを配備したと思ってるのでしょうか?日本にオスプレイはありません。これは米軍のものです。米軍の戦略上必要な配備だということ。勘違いですね。それと、他の県の自治体が反対すればって、あんた尖閣は沖縄県にあるんだよ、山口に置いてどーすんだ?アホ!
 ってことはだよ。構造的差別の元凶は「神」だな。神が沖縄の周辺に敵性国家を配置しやがったんだ。でも神は日本も置いといてくれたね(T_T)/~~~
 
 >沖縄人として日本のマイノリティー(少数派)の立場を身に染みて感じてきた先輩たちだ。2世、3世であってもふるさとへの思いは強い。「基地撤去を願う県民と行動を共にする」という力強いアピール。基地を押し付ける国策にノーを言う沖縄にとって、大きな支えになってくれるだろう。 
 
 :「沖縄人として日本のマイノリティー(少数派)の立場」・・・・・・・・・・・・・・・・う~ん、これはどういう意味と解釈すればいいのでしょう。東京の江戸川区の住民は日本のマジョリティーか?北海道の旭川の人は?
 
 理解しようとするなら「在日琉球人」という捉え方をすれば氷解する。「2世、3世であっても・・」の言葉はそれを補強してくれる。つまり沖縄人とは日本人ではなく、あくまでも「在日」の異民族であるといいたいわけだよ。コラムを通じてね。
 
 将来、たとえば東京や大阪などの都会で働きたい、住みたいと思ってる沖縄の若者たちが、このコラムを読んでどう感じるでしょうか。未来志向の考えが湧くでしょうか。色眼鏡をかけて沖縄を離れることにならないでしょうか。「本土対沖縄」は確実にあるんだと心に植えつけたいのでしょうか。このコラムからより良き未来を感じるでしょうか。
 
 このコラム実はウチの息子が「お父さん、これ変じゃね?」と言ってみせてくれた。ウチの極めて優秀な息子だから気づいたのだが、多くのフツーの若者は文言どおりに受け取るだろう。(T_T)/~~~
 
 もう少し、日本語を学んで書かなきゃな。でないと「反日」を煽ってると誤解されちゃうよ、 という誤解を持つ読者もいるだろう(T_T)/~~~
 
 
 

 
 
 先日、ネットでチャンネル桜を見た。何でも沖縄支局が開局したとか。
 
 産経新聞那覇支局長の宮本雅史氏が出演しておられていて、こう仰った。
 
 「新米保守でもなく反米保守でもない。我々は親日保守だ」、と。
 
 なるほど、と思った。がしかし、縁側は宮本氏ほど政治に精通してるわけもなく、政治的な立ち位置から保守を語ることができる器ではない。それでも保守とは?と自らに問うと・・・・・
 
 
 縁側は、学がない。よって学術的な見地からの「保守」や「保守主義」などは興味もなければ、知識もない。縁側の考える「保守」についてのみ語れる。まぁ、偉そうに言うことでもなく単純な話なんだけどね。
 
 縁側は単純に「連珠」。まぁ、珠の連なりというだけの意味ですが。
 
 つまり、前の世代から受け継いだものを次世代にバトンタッチするだけ。とてもシンプル。それだけでいいと考える。もちろんそれが難しいこともある。でも言葉で言えばそれだけだと思うよ、保守ってさ。
 
 政治的な思想や考え方などで、保守だリベラルだとするのは、賢い方に任せる。縁側はバカだから。
 
 連珠と書いた。歳月の中で、数珠つなぎのように人々のさまざまな営みが受け継がれてきた。それを継承・発展させつつ未来へ次世代へつないでいく。これが保守。そんだけ。威勢のよさや、かっこよさなど微塵もいらない。ただただ次世代へ滞りなくバトンを渡せればいい。
 
 じゃあ誰にバトンを? わが子でいいんじゃねーの?それだけでいいんじゃねーのかな。地味なもんだよ、保守とは。
 
 その点、革新は違うよね。でかい声で改革を訴え、既存のものを破壊してより良いもの??を探求する。活動家に革新が多いのは当然だろうな。
 
  最近どうも気になるのが、右派系雑誌を読みこみ、ネットなどで情報を得て「自分は保守」という人が縁側のまわりにもいるし、かなりの数増殖しているような気がする。職場の者が縁側にこう言ったもんだ。「やっぱ時代は保守ですよね。」(T_T)/~~~
 
 流行りもの扱いだもの、まいった。さらに気になることがある。
 
 これを読んでみてくれ。
 

 <金口木舌>9条の旗手放すな 2013年9月10日 
 中国戦線から戻り、日本に帰ってきた1946年4月。青年は上陸直前の船内で配られた新聞を手に取り涙が止まらなかった。戦争放棄をうたった9条を含む憲法草案が発表された日の紙面だった
▼8月29日に他界した元日本火災海上保険(現日本興亜損害保険)社長で経済同友会終身幹事の品川正治さん。財界きっての護憲派として知られていた。講演会や著書で憲法9条の堅持を積極的に訴え、武器輸出三原則の緩和にも反対した
▼沖縄に深い思いを寄せた戦中派の1人でもあった。復帰を機に本土の大手損保会社が沖縄進出を狙う中、品川さんは地元企業が生き残るために琉球火災と共和火災の合併を働き掛け、大同火災の誕生を喜んだ
▼ともに動いた当時の日本火災社長・右近保太郎さんも戦中派。地上戦、米軍占領を強いられた沖縄に対し、2人は「沖縄の人たちは日本で一番幸せな人たちにならなければならない」と願った
▼沖縄へ思いを寄せた文章(「世界」1月号)では、オスプレイ配備を強行した政治に率直な怒りをぶつけている。「『ぬちどぅ宝』と唱える沖縄県民の生命まで危険にさらしている」「『沖縄』は視野から消されてしまっている」と
▼「9条の旗はボロボロだけど手放さないでほしい」と常々語っていた品川さん。他者の痛みを知る世代からのメッセージを引き継いでいきたい。
 
 

  
 端的に言うと、って端的にしか言えないんだけど(T_T)/~~~
 
 9条をその人の思想的立ち位置を見る絶対的リトマス試験紙にするボケがいる。「平和な社会」をきずくためには、どのような国防意識を持てばいいのか?その違いが保守だ、リベラルだという。まぁ、そーいう風に仕分けたい人がいてもいいのだが、縁側とは相容れない。
 
 左翼活動家でもなく、ただただ心から平和を願って9条を守っていこうという人たちはいる。そのひとたちの想いは戦争の放棄である。立派な考えだと思うけどね。上のコラムの品川さんなんかも戦争を経験し、二度と戦争をしてはならないとの想いから9条護憲だという。この品川さんみたいな人は数多くいらっしゃるはず。忌み嫌うようなことがあってはいけないと思うよ。それはそれでちゃんとした思想なんだから。
 
 また、米軍基地についても似たようなことがある。基地反対する人はサヨク。賛成の人は保守??? おいおいって感じだな。 
                                                
 前述した宮本氏の「親日保守」の言でいけば、基地反対論者にも二通りあるだろう。外国の軍隊を駐留させるのはダメで自衛隊だけでいいと考える人と、サヨクの人。基地賛成論者にも、単に米国に盲従すればうまくいくと考える人と、東亜安定のために必要だからと考える人。
 
 
 縁側からみて、サヨクの人の中にも、縁側の考える「保守的」な人はいるし、自称保守の人の中にも縁側の考える「保守」ではありえない人もいる。
 
 また、沖縄は他の地域と異なり、「元々沖縄は独立した国」と考える活動家がいる。いわゆる琉球保守かな。その人たちからみれば、現在の「沖縄保守」は、明らかに外国盲従分子の左翼でしかないし、日本共産党沖縄支部(前身は人民党)などは真性保守に見えることでしょう。
 
 政治的な立ち位置から見たらめんどくさいね。         
 
 サヨクに対抗する思想上のカテゴリーとしての保守に興味はないし、「保守気取り」で勘違いしてる連中とは一線を画したいと思います。   
 

 
 沖縄人向けです。
 
 最近、「しまくとぅば」について、琉球新報の社説登場回数がやたら多い。
 
     しまくとぅば調査 危機感共有し復興を図れ 9月15日
 
     しまくとぅばの日 復興への歩みを強めよう 9月18日
 
     しまくとぅば大会 県の本気度が問われる  9月19日
 
 
 縁側は、結論から言うと、「無駄」。
 
 いろいろと、それこそ歴史的な背景まで遡ることになるのだが、言葉の復活について言えば、「しまくとぅばのようなもの」としてなら「復活」は可能でしょう。が、沖縄人が日常使用していた「うちなーぐち」を「復活」させるのは無理。できません。捨てたから。
 
 この時間は、アルコール摂取のお時間なので、多くは書けないが、復活は無理です。「みたいなもの」や「沖縄新語」ならできるでしょう。やればいい。縁側とはまったく関係のない話だからな。
 
 ちなみに言うと、縁側は40代で、同年代はほとんど方言を話さない。が縁側は首里の出なので、リスニングはほぼできるし、べしゃりもそこそこできる。けれど・・・・・、実家と友人の前以外では使いません。なぜかは至極真っ当なものはある。けどコメントに対してなら答えますが、今は飲んでるので長くなるのはきつい(T_T)/~~~
 
 もう一度言っとく。「しまくとぅば」は復活しません。
 
 
 

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