縁側の 「逆風って気持ちいい!」

 縁側です、よろしく。首里城周辺をうろついております(^^♪ 言いたい放題させていただくブログです。酒飲みで常識もへったくれもない、常軌を逸した者が綴るブログですから、ムキにならずにお読みください。 ご意見やご批判などはこちら→samy_0363@ezweb.ne.jp

2013年04月

 
 縁側はステレオタイプの物言いが大好きです。なぜなら程度が低いから(T_T)/~~~
 
 でもね、バランスのとれた発言みたいなのが嫌いなのも事実。なぜなら、結局「何も言ってない」やつが多すぎる。代表的なのが池上彰(T_T)/~~~
 
 インテリっぽい者に多い気がするなー。
 
 日本人は議論が下手だとはよく聞く話。でもそれってホントかね?議論下手なのが、官僚とか政治家などインテリ気取ってる連中に多いからそう言われてるだけなんじゃねーのかなー。
 
 それとね、縁側のようなステレオタイプ野郎がいるからこそ、インテリっぽくバランスのとれた人が際立つわけだよ。
 
 学校の先生などに、「議論の際には他者の意見をよく聞きましょう。」などと小学校の頃にいわれた経験あるでしょ。あれがそもそもダメなんだよな。小学校や中学校の先生は「さぁ、自分の意見を通し、他者の意見を蹴落とす練習をしましょう!」とはまぁ言わないけど、それもあっていいと思うのは縁側みたいなひねくれ者だけか?
 
 三つ子の魂百まで、ではないが、子供のころから優秀な人ってさー、処世術というか他者の意見を尊重しつつなどと言って結局自分の主張することにリキ入れきれない感じしね?ってやっぱりステレオタイプ野郎だな縁側は(T_T)/~~~
 
 なんでこんなこと言うかというと、日本で一番売れている新聞社の社説がねー、あんまり好きじゃないんだよね。バランス重視みたいで、気持ち悪い。池上彰と大差ないって感じかな。例えばこれ、
 
 

 閣僚の靖国参拝 外交問題は避けるべきだ 4月24日付 読売新聞社説
 
日本政府には予想外の反応だった、ということではないか。
 韓国の尹炳世外相が、26、27日に予定されていた日本訪問を中止した。麻生副総理ら閣僚3人の靖国神社参拝に対し、「侵略戦争の美化」と反発したためだ。
 尹外相の来日は、5月下旬の日中韓首脳会談が中国の消極的姿勢で見送られる見通しとなる中で、議長国として会談開催の環境整備を図ろうとしたものだった。
 緊張の高まる北朝鮮の核・ミサイル問題での日韓連携に加え、李明博前大統領の竹島訪問などで悪化した日韓関係を朴槿恵大統領の下で改善する機会でもあった。
 それだけに、尹外相の来日中止は残念である。
 韓国の外交姿勢には疑問が残る。従来、小泉首相の靖国参拝に反発して盧武鉉大統領が訪日を見合わせたことはあっても、閣僚の靖国参拝をここまで外交問題にしたことはなかった。
 日本政府が、歴史認識をめぐる問題について「それぞれの国にはそれぞれの立場があり、影響を外交に及ぼすべきではない」と主張するのは、その通りだ。
 戦没者をどう追悼するかは他国に指図される問題ではない。立場の相違を外交全体に極力影響させない努力が双方に求められる。
 一方、菅官房長官は「靖国参拝は心の問題だ」と語り、麻生氏ら閣僚の参拝をことさら問題視しない考えを示している。
 しかし、麻生氏らの靖国参拝が日韓関係に悪影響を与えたことは否定できない。政治も外交も重要なのは結果であり、「心の問題」では済まされない。麻生氏は副総理の要職にある以上、より慎重であるべきではなかったか。
 首相は、かつて第1次安倍内閣時代に靖国参拝できなかったことを「痛恨の極み」と述べたが、歴史問題が外交に悪影響を与えないよう細心の注意を払って政権運営してもらいたい。
 尖閣諸島の問題で日中関係が険悪になる中、まず日韓関係を改善することは、安倍外交にとって最優先の課題であるはずだ。
 靖国神社参拝をめぐる問題の根底には極東国際軍事裁判(東京裁判)で処刑された東条英機元首相ら「A級戦犯」が合祀(ごうし)されていることがある。韓国や中国だけでなく、日本国内にも戦争を招いた指導者への厳しい批判がある。
 誰もが、わだかまりなく戦没者を追悼できる国立施設の建立に向け、政府は議論を再開することも考えるべきだろう。(引用おわり)
 

 
 何回読んでも意味がわからない。つーか、社説ってさー、その新聞社がどのように考えているのかというバロメーターみたいなもんでしょよ。でもほぼ何も言ってない。こんなんならクソみたいな新聞社である琉球新報のほーがまだ強く主張してる。まぁ、1000万部というからみんなに差しさわりのない「サザエさん」的文体ですませたほうがいいってことなのか・・・。金払ってまで読みたいとはおもわねぇな、これじゃ。
 
 そこへいくとだ、我が日本共産党の機関紙であるしんぶん赤旗の主張(社説)はいいぞ(T_T)/~~~ なんたって読み応えがあるもんね。腹筋鍛えられるし。
 
 政治家や官僚になりたい人はこのような新聞読んでたら、外国との交渉などでの論戦に弱くなると思うぞ。ってこれもステレオタイプの物言いか(T_T)/~~~
 
 

 
 一昨日の気持ちわるいほどの愛国者(?)による日本国に対する抗議集会のその日の琉球新報のコラム「金口木舌」を紹介します。縁側は新聞は大手のしか読まないので見落としておりましたが、読んでみて力が抜けていくのを感じ、これは書き留めておくか・・と。
 
 <金口木舌>甲子園の土 2013年4月28日
 
 選抜高校野球や春の九州高校野球が終わり、球児たちはもう夏の甲子園大会を目指している。「聖地」で投げ、打ち、走る姿を夢見て
▼今から55年前の夏の甲子園。沖縄から首里高校が春夏を通じ初めて出場した。試合を終えナインが持ち帰った甲子園の土を、那覇港で捨てる衝撃的な出来事があった。米国統治下の植物検疫法に抵触し持ち込めなかったのだ
▼上陸を目前に、一生の宝となる甲子園の土を捨てざるを得なかった選手たちのつらさは計り知れない。甲子園に立ってつかんだ努力の“結晶”が、一瞬にして水泡に帰した
▼首里高出場からちょうど半世紀がたった2008年8月、当時の同校野球部主将・仲宗根弘さんは、高校野球ファンの印象に残る選手を集めた催しに参加。「思い出の甲子園に2度も立てるとは思わなかった」と感激した
▼そして50年前に持ち帰れなかった甲子園の土をとうとう持ち帰った。ポケットに用意した袋に「手で一握りだけ詰めた」という。半世紀ぶりに願いがかなった喜びは格別だったろう
▼首里高が甲子園の土を持ち帰れなかった悔しさは、その後、沖縄尚学高と興南高が優勝旗を持ち帰り晴らした。きょう4月28日はサンフランシスコ講和条約が発効した日。復帰前の高校球児の不便や苦難に思いをはせつつ、基地過重負担の解消など未解決の主権問題とも向き合いたい。(引用おわり)
 
 

 
サンフランシスコ講和条約が発効され、沖縄が切り離されたという件と首里高校の甲子園出場を結びつける愚かさには呆れてしまうのだが、このクソ文にないエピソードなどを紹介しよう。ちなみに首里高校は縁側の母校である。
 
このコラムからは切り離された沖縄は高校球児にも暗い影を落としたように書かれている、というか書き捨てている。ところが・・・。
 
昭和33年、第40回大会に沖縄から初出場。我が母校首里高校であります。残念ながら一回戦で敗退。選手は甲子園の土を持ち帰った。がしかし、植物検疫法により那覇の港で捨てられた。
 
ところが、それを聞いた日本航空のスッチーが「石だったらいいんじゃね?」ということで甲子園の小石を首里高校野球部に贈ってきてくれたんだ。それは現在でも首里高校の校庭にある。これだ。写真を見ると校庭の真ん中に堂々と建立されているようですが、縁側が在学中はどこにあるのかわからなかった。というよりも、このエピソードを知らなくて、教えてもらったのは在学中に観た「熱闘甲子園」という番組のCM(^_^;) 今でも同級生で知らない者も多くいるだろう。その程度の扱いだった。友人に聞いたよ。「その石って学校内のどこにあるんだ?」とね。たしか校舎の裏の薄暗いガジュマルの木の下にあったと記憶してる。陽のあたらないとこ。良くいえば木陰(T_T)/~~~ 写真で見る限り現在の場所は移動してるな、おそらく。「こんなとこでいいのか?」などいろいろあったんじゃねーのかな。
 
それにしても、JALのスッチーの優しい気持ちからの「美談」は取り上げず、ひたすら被害者としての一面だけですか・・。新聞を読んで温かい気持ちになることなど県内紙を読む限りにおいてはありえないのだろうな。さびしいねー。
 
このような話は他にもある。
 
那覇市内に「与儀公園」という市民の憩いの場がある。1月には桜が満開になり行楽客も多い。そんな公園内に沖縄では見かけない乗り物が鎮座している。これだ。そして、詳細はこれです。
 
縁側もこのD51が来て間もないころに親に連れられて観にいきました。縁側があーだこーだ言うとこのD51寄贈作戦に関わった方々や、募金なさっていただいた方々に申し訳ないので何も言いません。が、琉球新報も被害者としての「いわゆる沖縄」ではなく、日本全国の人々との絆を大切にするような記事は書けないもんかね?こいつらには無理な相談なのかなー。(T_T)
 
少し付け足すと、数十年、野ざらしにされたD51は赤サビだらけでひどい状態だったようです。それをみかねた心ある立派な人々によってキレイになったようです。数年前のこと。その記事がこれです。
 
ついでにもうひとつ。
 
首里高校の真向かいに玉陵(たまうどぅん)という琉球王家の墓があります。ココ。
 
そこは、琉球王の末裔である尚家所有物でした。他にも識名園や王家ゆかりの品が多数残っていた。縁側が高校生のころから観光名所だった。観光地として利用させてもらっている那覇市に清掃などの義務があるのは当然のこと。国宝級の品々は尚家当主が所有保存していたのですが、個人で保管するにも限界があり、玉陵や識名園とともに、尚家の故郷といえる沖縄県および那覇市に寄贈しようと考えていたようです、当初は。ところが尚氏、東京から玉陵を見にきてびっくりくり。雑草はボーボー、ゴミは散乱して、とても琉球王の墓という状態ではない。おそらく呆然と立ち尽くしたに違いない、と同時に怒りがわいてきて切歯扼腕したに違いない。重要文化財?とんでもない、縁側が高校生の頃は、不良少年の憩いの場だったんだ。縁側もかったるい授業のときなど、よくお邪魔させてもらってた。当時からヘビースモーカーだった縁側にとっては、人目につかない絶好の場だったといえる。そのように杜撰な管理、ではなく、管理放棄されている現状を子孫が目の当たりにした・・。結論はというと、
 
「沖縄にも、那覇市にも我が先祖代々の遺産を管理する能力はないと判断した。よってこれらの遺産は、東京都台東区に寄贈する」(縁側の脚色あり)と言い放った。尚氏にしても苦渋の決断だったと思う。
 
それを聞いた沖縄県民の反応は、尚氏に対するバッシングの嵐。「沖縄の宝をヤマトに譲り渡すのか!」「沖縄の心を忘れたか!」などなど。そう、ちょうど一昨日の物言いとよ~~く似たような言い草だな。尚氏は心の中でこう言っていたと思うよ。
 
「オメーらのように管理もまともにできない連中に先祖の大事な遺産群を譲れるか、ドアホ!恥を知りやがれ、無能集団め!」とね。
 
まぁ、これは縁側が勝手に想像してのセリフだが、事の経緯をみれば大同小異といったところだろう。
 
沖縄人からの見当はずれの朝鮮風バッシングを受けた尚氏と、尚氏の台東区寄贈の報を聞き慌てた那覇市が話し合った結果、那覇市への寄贈ということで決着した。それを聞いた沖縄県民からは「尚氏の決断に拍手を送る。」だとよ。ホント呆れた連中だよ、昔も今も。尚氏は寄贈にあたりこのように言っている。
 
 「文化財の意義を十分認識していただき、永く大切に保存を」
 
育ちの良い高潔なお人柄がにじみでた言葉だろう。本音は「オメーらほんとに大丈夫なんだろーなー?ホントに大丈夫か?間違いなくちゃんとしてくれるか?」など、不安でいっぱいだっただろう。
 
琉球新報の社員諸君、君たちには甲子園の石を贈ってくれたスッチーや、D51を贈ってくれた国鉄の方々と募金してくれた多くの人々、そして尚家当主の心情などわからないんだろーな。なんせ、かわいそうな被害者だもんな、未来永劫。
 

 

 
 「泣く子と地頭には勝てぬ」ということわざがある。
 
 道理の通らぬ赤児が泣くと、手がつけられない、ということから、何をやっても、言っても無駄な努力だとする意みたい。地頭が幅を利かせていた時代に縁側は生を受けていないのでそこはよくわからないが・・。
 
 吠える野良犬(最近野良犬って見かけないね)というか、放し飼いされてるデカイ犬と遭遇するとおっかない。襲われるんじゃないかと震えた経験のある人は多いでしょう。でも、それより恐ろしいのは害虫。なぜか、それは知能の発達度による。デカイ犬は怖いけど、対処の方法もある。向こうがこちらを「怖い」と思えば、思わせれば向こうが勝手に去ってゆく。ところが、手に負えないのが害虫。こいつら駆除しても駆除しても人間をまったく恐れていない。カルト教団の信者よりも怖い。仲間が殺されても平気で縁側にまとわりついてくる。好かれてるわけではないと思うのだが・・(^_^;)
 
 昨日、宜野湾市で「4・28政府式典に抗議する『屈辱の日』沖縄大会」というものが開催されたようだ。主催者発表で1万人強。実際にはその半分以下といったところだろう。おそらく沖教組や自治労からの動員が7~8割で残りは、我が日本共産党支持のじーさん、ばーさん。それで3千人~4千人というところ。そのころ縁側は家でビール飲んでビデオ観てた(^_^;)
 
 泣く子と害虫は手に負えないと前述した。これと同じように、「いわゆる沖縄」にはもはや何を言っても通じない。泣く子のように道理が通じず、害虫のように嫌悪される存在へと歩を進めているようであります。
 
 今回のウンコ並に異臭を放つ集会に参加したのは確かに左派系の組合員とその家族が主。それも本土からの動員が多かったのも事実であります。これは数ヶ所のホテルの関係者から聞き取りした。それはそうなのだが、では市井の沖縄の民はどのように考えているかというと、「何も考えていない」のが多数であることは明白なのだが、だからといってこの集会に対して賛意を持つ者が少ないとはいえない、かなりいる。40代以上の者、特に60代以上は全面的とは言わなくとも、ある程度理解を示す者はかなりの割合でいると推察する。いちおう推察だよ。
 
 「いわゆる沖縄」の最大の問題の核心は、県内に巣食うインチキ新聞社とその関連クソ左翼団体(革マル等)の織り成す反日・反米イデオロギーではない。
 
 多くの県民はインチキ新聞社とその愉快な仲間らの垂れ流す情報から「(国から)金が出るからいいんじゃねーの」「それで沖縄はもってるんだから」と言い放ってオシマイ。これが圧倒的多数である。そこには脈々と受け継がれてきたルサンチマンも一役買っている。そしてそれだけではなく、そのサイレントマジョリティーをうまく利用しているのが、自民党沖縄県連。
 
 実は沖縄というところは、復帰前のほうが、経済という点ではカタチがとれていた。第一次・第二次産業もそれなりに稼動していた。復帰を境にそれは激減。いわゆる補助金漬け体質に転換。今は第三次産業が主。「観光」という名目はついているけど、老いも若きもサービス産業に目が向く。飲食店をだす。修行などしない。とにかく出す。そしてつぶす。それの繰り返し。それで自立経済?米軍基地のせい?笑わせるな。すべてわれわれ沖縄人の資質に問題があるんだろが。本土から来ている転勤族に聞いてみ。「沖縄人は働かない」という者のなんと多いことか。基地のせいか?国のせいか?勘弁してくれよ。クソ新聞社だってみんなが読まなくなればつぶせるんだけどね。でもつぶれない。せっせと宅配してもらってる。沖縄タイムスなんか那覇の一等地に新社屋建てたでしょう。つぶれそうにないよね。
 
 とまぁ、思いっきり上から目線で毒を吐いてみました。もちろん縁側もその沖縄人のひとりであります。よって自己批判もこめて書いてみました。
 
もんくあればどーぞ。
 
 
 

 
 久しぶりに東京へ行った。前回はいつだったのか覚えていない。そのくらい久しぶり。
 
 羽田に着くと変わってる。迷子になりそうだった。
 
 今回は息子が大学生になったので、入学式の見物と、生活する部屋の確認。ん~、親馬鹿ならぬバカ親である(T_T)/~~~
 
 飯付きということで、学生会館にはいることにした。部屋は、キレイではないが、まぁ、生活するには充分過ぎる環境である。
 
 それよりなにより、おねーちゃんたちが洗練された都会の感じがイイ<(_ _)> 息子がうらやましいよ。
 
 大学は、目黒の大岡山にある。といえば「ああ、あそこか」とわかる大学です。そこそこのレベル(縁側からすればたいしたことはないのだが・・)の大学ですが、世間からは「とっつきにくい」という先入観があるようで、ってあるんだけど、でもまぁいい大学だと思うことにした。
 
 息子はなんでも「ロボットが作りたい」んだと。いいことだよ。ぜひ、お父ちゃんの意のままに動いてくれるおめーの母ちゃんとは違う女性型ロボットを作ってほしいもんだ(^_^)
 
 高校の先生の「理Ⅰに行け!」を蹴って叩いて、この大学に行ったひねくれ根性は親譲りなのだろう。その反骨精神は親としても誇りに思う。でも、後から聞いた話だと、担任の先生にこう言ったらしい「うちは貧乏なので、すぐ金にしなきゃいけませんから」とね。(^_^;)
 
 ん~、さすがわが息子。この子は特に私の遺伝子を色濃く受け継いでるんだよな~、少し恥ずかしいですが・・・。
 
 こんなバカ親でもいちおう心配だから東京まで見に行きました(^_^;)
 
 部屋の近くに慶応のキャンパスがある。大学生=慶応という地域だ。気後れしないことを望む。って、しねーか、縁側の息子は(T_T)/~~~
 
 スカイツリー見たかったのに時間がとれなかった。悔しいけど、年内にもう一度行く予定なのでそのときは一日かかってもいいから見にいくぞ~!
 
 息子には、ぜひクソみたいな常識に捉われず、周りの空気を無視してもいいから、自我のままに研究・探究する人になってほしいな、と願う。
 
 20歳になったら、素数について酒でも飲みながら話したいものです(^_^)
 
 追記:「SUICA」だったか、電車に乗るときに切符を買わない方式に変わってた。何だありゃ?(T_T)/~~~
 
 
 

 
 今日、28日は政府主催の「主権回復記念式典」が挙行される。安倍内閣らしいセレモニーである。
 
 翻ってここ沖縄では、「屈辱の日」として式典に反対する、いわゆる県民大会が行われようとしている。
 
 なぜ屈辱なのか?・・・・・・昭和27年4月28日に発効されたサンフランシスコ講和条約により、日本の独立国としての主権が回復した日である。と同時に、小笠原や奄美沖縄などの諸地域が日本から分離され米国の信託統治下に置かれることとなった日でもある。ということで、安倍内閣としては、主権を取り戻した記念の日だから式典を開催したい。式典反対とする人々にとっては、日本から切り離された地域の人々の心を抉る行為に他ならないから式典には反対するといってる。ん~、よくわからん(^。^)
 
 縁側はというと、「やっぱり、よくわからん」という感じか。
 
 確かに、4・28は主権を回復した日なのだろう。国際社会の一員としての門出だったわけで。
 
 でもね、安倍内閣の目標として新憲法制定があるじゃない。それを実現するための布石として96条改正をいっている。どーもそのあたりに引っかかる。
 
 現行憲法が施行されたのが昭和22年の5月3日。占領期だな。つまり「主権のない」時期に公布され施行されている。その憲法をそのままにして「主権回復記念」もねーだろよ。なんて思うわけだ。
 
 参院選挙で勝利し、96条改正のための政治パフォーマンス式典という感があるのは縁側だけかな。もしそうなら、そんなまどろっこしい手は好きじゃねぇ。
 
 かたや式典に反対している人々。特に沖縄では「屈辱の日沖縄大会」というものを開催する人たちがいるみたい。1万人を集めると豪語してる(^_^)
 
 61年前のことだから、当時、20歳でも81歳か・・。
 
 当時屈辱を感じた人がいたのか、どーなのかは縁側はしらん。だけど、屈辱を感じられる人ってのは、最低でも70歳代の後半だろーな。
 
 ところがだ、その「屈辱の日沖縄大会」の実行委員会に若い連中が多数いるようなのだが、あれって何?屈辱感が遺伝でもしたのか?(T_T)/~~~
 
 あまりアタマを使わないってのが、沖縄人の特性だからしょーがないのかもしれんが、でも縁側のハイセンスな感覚からいけば、屈辱感などというものは、声高に叫ぶものではない。屈辱感があり、それがもし怒りになったとするなら、なおさら深く静かに沈黙を貫くほーがいい。そのほーがカッコイイしな。
 
 それにしても、「いわゆる沖縄」の国に対する抗議行動というものは、朝鮮の反日活動とよく似てるよ。
 
 この「屈辱の日沖縄大会」は、おそらく沖教組主導なのだろう。それに我が日本共産党が乗っかって他の左翼団体とその日だけの団結ってやつで開催するんだろうね。それを琉球新報と沖縄タイムスが煽るという図か。
 
 なんかでもこの大会ってさー、自爆気味のような気もするんだよねー。彼らは「主権回復の日に日本から見捨てられた」という。古いドラマの愛する男に捨てられた女のようだな(^_^)。ということは、なんだこいつら、強い愛国心を持つ愛国者か?(T_T)/~~~
 
 それで「屈辱の日」なのかー、いや納得。
 
 

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