韓国の日本人に対する憎悪はどこからくるのだろうか。
国宝・朝鮮鐘、韓国側の返還要求に神社困惑
豊臣秀吉による朝鮮出兵の際に日本に持ち込まれたとされる福井県敦賀市の朝鮮半島由来の文化財の返還請求はこれまでにもあるが、戦前の日本統治時代に移された文物が大半。国宝が対象になるのも異例で、困惑する神社側は「国の宝なので国が問題を解決してほしい」と望んでいる。
鐘は青銅製で、高さ112センチ、口径67センチ、重さ337キロ。銘文には新羅時代の833年に鋳造されたことや、所有した「蓮池寺」の名がある。文禄の役(1592~93年)の後の1597年(慶長2年)に敦賀城主・大谷吉継が奉納したと伝えられる。1952年に「国内で最古の朝鮮鐘」として国宝に指定された。
神社によると、5年ほど前から、返還を求める韓国人が訪れて、鐘の前で泣いて訴えるようになり、神社は一般公開をやめた。
昨年3月には、かつて蓮池寺のあった
その後、市民団体の働きかけはないものの、共同代表は読売新聞の取材に「すぐに返してもらえるとは考えていない。日本の学者や政治家らにも考えを説明する」と回答している。
宮本宮司は「代々守ってきた地域の宝で、返還には応じられない」と話す。文化庁美術学芸課も「国宝の国外持ち出しは文化財保護法で禁じられている」との考えを示す一方で、「民間同士の話には入れない」として、市民団体に国が対応することには否定的だ。
(2013年1月31日15時35分 読売新聞)
前にも皇室ご所有の物を「奪っていった」韓国。
仮に大英博物館の所蔵だったら、彼ら韓国人は強行に「返せ!」と言えたのだろうか・・。
数年後には、日本人経営の韓国料理店に対して「料理一品に付き、1万ウォンの著作権料をもらう」くらい言い出すかもしれんな(T_T)/~~~
上の記事では、まだ市民団体レベルの要求だが、おそらく国レベルでの要求に変わるのだろう。何せ韓国ですから。
ポピュリズムの肥大化した国、韓国。なぜこのような歪な国になったのか?
縁側が推察するに、この国には過去にも現在も国民が心の拠り所というのか、精神の安定をはかる「権威」が存在していないことに起因してはいないか?
現在でも経済界や国政などで幅を利かす朝鮮貴族。彼ら両班の支配下に多くの韓国民がいるという前時代的な構造がまんま生きながらえているのか・・。
権威無き民の行く末というのは、どこなのだろう。大統領はほぼみんな辞任してから「フクロ」にしている。偽りの権威をとりあえず認めて、その権威が実質無くなった途端切り刻む・・・。
上の記事では、権威無き国に「過去の権威らしきもの」を探し求めているようにも見える。哀れである。
いちおう資本主義的な経済体制といちおう民主主義を装う国の体系をなしているようにも見える。しかし実際には「似非」としか言えない、いつ破綻してもおかしくない烏合の衆的な国家に見えなくもない。
マックスウェーバーの説が正しいのなら、韓国には資本主義が発展するような要素はないし、おそらく民主主義とも程遠い国だろう。他国の教科書を糾弾し、圧力かけて書き換えさせ、自国のものはそのまんま(T_T)/~~~。そんなとこだもの。
もちろん日本だって他所のことを言える立場ではないのかもしれんが、少なくとも「権威」の存在を認めることに多くの国民が同意するだろう。天皇の存在である。
韓国の民が、日本の天皇には朝鮮の血が云々。それは歴史的な事実だろうが、我々からしたら、「ふ~ん、そうなんだ」で終い。何も気にならないのだが、彼ら権威無き民はそれを叫ぶ。
日本古来からの武道もほぼすべて朝鮮伝来といい、自衛隊も何も存在しない敗戦後、丸裸の日本から小さな島を強奪していった。竹島である。権威無き民はそれに変わる「何か」を求め彷徨い続けるのか・・。
自民党憲法草案に、天皇は国家元首とある。意見はいろいろだろうが、「権威」の存在は国民を安定させ、発展させる源である。韓国人の途方も無く彷徨う姿勢がそれを如実に表している。