縁側の 「逆風って気持ちいい!」

 縁側です、よろしく。首里城周辺をうろついております(^^♪ 言いたい放題させていただくブログです。酒飲みで常識もへったくれもない、常軌を逸した者が綴るブログですから、ムキにならずにお読みください。 ご意見やご批判などはこちら→samy_0363@ezweb.ne.jp

2012年10月

 
 
 
 10月28日付琉球新報社説をご紹介。って言ってもウェブサイト上で見られるんだけどね。以下引用。
 
 
           沖縄戦国賠訴訟 国は不誠実な姿勢改めよ
 
 
 沖縄戦被害国家賠償訴訟(命どぅ宝裁判)の第1回口頭弁論で、過酷な戦争体験を切々と語り国に謝罪と賠償を求めた原告に対して、国側は「原告の事実主張に対して認否する必要はない」などとして請求棄却を求めた。
 肉親を失ったり、戦争孤児となったりした原告らの訴えに真摯(しんし)に耳を傾けることもなく、法律論だけで退けようとする国の姿勢は、不誠実と言わざるを得ない。
 沖縄戦では多くの住民が戦闘に巻き込まれた。この訴訟は、戦争体験で心身に深い傷を抱え苦しみながら高齢になった人たちの最後の訴えだ。誤った国策に対する反省として、国は原告らの主張に真剣に向き合う必要がある。
 国は「国家無答責の法理」と、「受忍論」を展開し、原告の主張には根拠がないとしている。
 国家無答責の法理は、国家賠償法制定前の明治憲法下では国の公権力行使で損害が生じても、個人は民事上の損害賠償を求めることはできないとする考え方だ。
 しかし、戦後67年たっても国は戦争による民間の戦争被害者を放置している。不作為による人権侵害が続いていると言われても仕方ない。その一方で軍人、軍属、準軍属には恩給や補償として総額約52兆円が支給されている。
 国家無答責の法理によって、国策による民間人の犠牲だけを放置することが果たして公平と言えるのか、との疑問が出るのは当然だ。
 現に戦時中の強制連行に対する損害賠償などを求めた2004年の訴訟で、新潟地裁は「国家無答責の法理」について「正義・公平に反する」として退けている。
 受忍論は、全国各地の空襲被害に関する訴訟の最高裁判例を踏まえ「戦争被害は等しく受忍しなければならない」とする。
 しかし、おびただしい数の住民を巻き込んだ地上戦、沖縄戦に当てはめることが妥当か。日本軍は住民を守るどころか、住民虐殺や壕追い出しも起こした。「醜さの極地」といわれる沖縄戦の被害を、受忍しろと果たして言えるのか。
 原告40人の平均年齢は77歳を超え、最高齢は91歳という。
 裁判所には原告らが訴える戦争体験の事実関係を一つずつ吟味し、丁寧に審理を進めてほしい。人生最後の思いを込めた原告の訴えに、人権の最後の砦(とりで)として真正面から向き合ってもらいたい。
 

 
  命どぅ宝裁判なんてネーミングの訴訟らしい。センスの悪さが際立ち過ぎる。俺に頼めばもっといいのにしたのにね(ーー;)
 
 >肉親を失ったり、戦争孤児となったりした原告らの訴えに真摯(しんし)に耳を傾けることもなく、法律論だけで退けようとする国の姿勢は、不誠実と言わざるを得ない。
 
  :あの~、いちおう「法律論」を戦わすとこが裁判所というお役所なんですが・・・・、それを不誠実と言われてもねぇ。戦争孤児の方や肉親を亡くされた方には同情申し上げるが、それなら俺も原告になれるわけだ。戦争でじーさんとひぃじーさん亡くしてるからな。
 例えば、肉親が自動車にはねられ死んだとする。遺族が「自動車という人を殺せる機械を日常的に利用しなければ、日々の生活にも支障が出るような、今日の社会にしてしまった国の責任は重大である。」なんて理屈もアリか?
 
 >沖縄戦では多くの住民が戦闘に巻き込まれた。この訴訟は、戦争体験で心身に深い傷を抱え苦しみながら高齢になった人たちの最後の訴えだ。
 
 :死ぬ前にわざわざ辛い体験を裁判所で話すこともないと思うけどね。辛い体験を無理やり話させられたってんならわかるけど、進んで「俺は(私は)、辛かったんだ~」ってさー、高齢になるまで、楽しかった思い出とかないんか?辛かったことを殊更言い募る人生って傍からみても悲しい人だなと思うよ。とまぁ、原告の高齢者がそんな人なら、悲しい人なんだけど、ところがそーじゃないんだな、これが。原告団は反日活動家で、高齢者は彼らの口車に乗せられて、よく理解しないままに担ぎ上げられた格好なんだな。おそらく全国的にこのような訴訟は根がひとつなんだ。似たような格好で担ぎ出されてる高齢者も多いと思うぞ。
 
 >国家無答責の法理は、国家賠償法制定前の明治憲法下では国の公権力行使で損害が生じても、個人は民事上の損害賠償を求めることはできないとする考え方だ。
 しかし、戦後67年たっても国は戦争による民間の戦争被害者を放置している。不作為による人権侵害が続いていると言われても仕方ない。
 
  :この「駄文」さー、変でしょ?へんだよね。「変」な箇所みつけられましたか?  
 
 そーですね、しかし戦後67・・・・の「しかし」の用法が誤り。前後の文章読んでみ。この「しかし」でまったく意味不明な駄文となっている。縁側同様に、国語能力に難のある者が書いてるのだろう。まさか中国人じゃねーだろーな?
 
 いちおう、沖縄県内№1のシェアを誇る新聞社の昨日の社説であります、はい(T_T)/~~~
 
 >国家無答責の法理によって、国策による民間人の犠牲だけを放置することが果たして公平と言えるのか、との疑問が出るのは当然だ。
 現に戦時中の強制連行に対する損害賠償などを求めた2004年の訴訟で、新潟地裁は「国家無答責の法理」について「正義・公平に反する」として退けている。

   :確かに新潟地裁ではそのような判決が出ている。がだ、高裁、最高裁ではその逆です。やっぱり国家無答責の法理が適用されました。まぁ、当然だろう。当時(昭和20年)は、国賠法のない時代だもの。ここで言いたいのは、新潟地裁の判決だけを言い、その後上級審で原告が敗訴した事実を伏せての論なんかするなドアホ!ということ。
 
 >受忍論は、全国各地の空襲被害に関する訴訟の最高裁判例を踏まえ「戦争被害は等しく受忍しなければならない」とする。
 しかし、おびただしい数の住民を巻き込んだ地上戦、沖縄戦に当てはめることが妥当か。
 
  :ここでの「しかし」の使い方は・・・・・・・正解でwwwwwす(^^)vいや~、2連敗なら琉球新報のトイレで用を足して流さずに帰ることまで考えてた縁側です(^^♪
 

  >原告40人の平均年齢は77歳を超え、最高齢は91歳という。
 
   :ご苦労さまですm(__)m
 

  >裁判所には原告らが訴える戦争体験の事実関係を一つずつ吟味し、丁寧に審理を進めてほしい。人生最後の思いを込めた原告の訴えに、人権の最後の砦(とりで)として真正面から向き合ってもらいたい。
 
   > :ここで言うところの「人生最後の思い」って何?もうすぐ死ぬってか?この論説委員は原告のじーさん、ばーさんの死期まで見えてるのか、スゲェ(T_T) 
 
  ところで、「人生最後の思い」って何?
 
 
  ホント、じーさんばーさん引っ張り出して死ぬまで原告として心労させる気なんだろーな。罪な連中だよ、反日活動家ってのは。
 
 人権最後の砦って、あーた、バカじゃねーのか? こんなクソ訴訟おこして、いったいどれだけ裁判所の「無駄」を増やしてんだアホたれ共が。税金の無駄遣いだろが、ボケ!
   
  俺なんて世間の嫌われ者だよ。その俺が「人生最後かどーかわからんけど最後になるかもしれない思い」を込めてだ、訴えをおこしてやろーか!
 「日常を脅かすかのような世間の冷たい視線に縁側は、ただただ身震いし、精神を毀損され続けております。このような恒常的差別は、憲法における幸福追求権の侵害であり、それは国の失策に基づくものなので訴訟をおこさせてもらいます」(T_T)/~~
  
  

 
 中国が尖閣および琉球列島の領有権を主張してますが、問題解決に最も重要なのが「日本の対応」。それ次第ってことは皆の共通認識でしょう。
 
 その尖閣についてですが、中国国内というか、中共の内部ではどー見てるのでしょうね。
 
 昔から中国は、文官と軍人は持ちつ持たれつできました。大昔からね。バランスが崩れてクーデター・裏切りなど戦の絶えない国でもります。というか、「国」の概念自体が中国に当てはまるのかさえ疑問でしょう。
 
 今回の尖閣領有権主張の強硬な姿勢を見るとき、「いよいよ来たか」と見るのが大方なのでしょうが、「まぁこの時期だからそー来るのは当然でしょう」と見ることはできないでしょーか。
 
 つまり、胡錦涛政権も末期をむかえ、やがて習近平が政権の座につきます。
 
 実は、「このタイミング」だから尖閣でやりたい放題しているのではないでしょうか?
 
 胡錦涛は政権についてから、親日的ではないにしても、「反日的」ではありませんでした。「そんな仲良くない外国のひとつ」くらいの付き合いでしょう。ところがここにきて、明らかに「反日強硬策」を実施してきている。
 
 私には、共産党内部の派閥争いを投影して見せているのが尖閣ではないかな~、なんて思ってます。
 
 これまでの尖閣の威嚇行動は胡錦涛政権の「最後っ屁」ということ。習近平への「質の悪い置き土産」ではないのかな。
 
 胡錦涛とその一派が、今後の影響力を維持するためには、新政権である習一派への攻撃材料がなければなりません。
 
 いちばんいいのは「反日」。教育の賜物で国民も煽れば乗ってくるしね。今回の騒動を一番苦々しく見ているのが実は習近平ではないのか? 彼らは面子を重んじます。それをつぶされたら浮き上がれないでしょう。そこで勝手に火を付けたということ。
 
 「おい習さんよー、国連でも尖閣でもぶちかましてやってんだから、後はヨロピク~!」
 
 「大風呂敷ここまで、敷いてやったんだから、どれだけ物が入れられるかはあんた次第だよ。政権について日が浅いからとか言い訳すんなよな。皆(中共幹部と軍部)見てるんだからさ」
 
 という、思いっきり大きなお世話というか嫌がらせを国際政治の舞台でやってんのが、中国共産党の内部対立ではないでしょうか。北京と上海との確執は前々から言われていますが、これもすべて尖閣で見て取れるのではないかな。
 
 わが国も、中共の内部対立をうまく利用する策があればいいね。

 
 かなり前の琉球新報コラム「金口木舌」(きんこうもくぜつ)より
 
 
  ヤンバルクイナの日 2012年9月18日
 
 「道を渡るときには、車に気を付けるのよ」「うん、分かった」。こんな会話が交わされているかもしれない
▼小さな子どもがいる家庭ではなく、やんばるの豊かな森で暮らすヤンバルクイナの親子の会話だ。ことしに入って輪禍によるヤンバルクイナの被害が39件となり、2011年の37件を上回って最悪となった
▼会話はこう続きそうだ。「この前もお友達が車にはねられて、けがをしたの」「いったい、この森は誰のものなの? 勝手に入って来て人間って恐い、ひどすぎる」
▼輪禍の件数は過去最悪を更新中だ。5月には東村高江で10年ぶりに親子の姿が確認され、繁殖域が回復している可能性があるという。マングースの防除対策も奏功しているようだが、喜ぶのはまだ早い
▼環境省のレッドリスト改訂版では沖縄から3種が「絶滅種」に指定された。ヤンバルクイナは最も絶滅の恐れの高い「絶滅危惧IA類」。絶滅の危機が迫っていることに変わりはない。人間が野生動物を絶滅へと追い込んだのなら、動物たちを守っていくことも人間にはできるはずだ
▼9月17日は国頭村議会が制定した「ヤンバルクイナの日」。20日から動物愛護週間も始まる。「共生」についてあらためて考えたい。まずは動物のペースも考え車のスピードを落としてみよう。「安全運転をありがとう」。ヤンバルクイナから感謝される日は来るか。



 
  まぁ、なんとも情緒たっぷりの先生に褒められる典型的な児童の書いた作文ですね(^^)v
 
 >ことしに入って輪禍によるヤンバルクイナの被害が39件となり、2011年の37件を上回って最悪となった

 
  :う~ん、そのヤンバルクイナをかわそうと、事故にあった人がいなくてよかったよ。
 
 >会話はこう続きそうだ。「この前もお友達が車にはねられて、けがをしたの」「いったい、この森は誰のものなの? 勝手に入って来て人間って恐い、ひどすぎる」
 
  :書いてて恥ずかしくなかったのかなー。ボクは転載しながら赤面しておりますです、ハイ(ーー;)
 
 >輪禍の件数は過去最悪を更新中だ。5月には東村高江で10年ぶりに親子の姿が確認され、繁殖域が回復している可能性があるという。マングースの防除対策も奏功しているようだが、喜ぶのはまだ早い
 
  :マングースの防除対策とは即ち、マングースを県内から駆逐する作戦のことです。とっ捕まえて殺すってことね。
 それにしても、この文脈の悪い作文で飯食えるんだから、楽なもんだよな。縁側の添削した下の文のほーがよくね?
 
  5月に東村高江で10年ぶりに親子の姿が確認され、繁殖域が回復している可能性があるという。マングースの防除対策も奏功しているようだが、喜ぶのはまだ早い。輪禍の件数は過去最悪を更新中なのだ。(T_T)
 
 >9月17日は国頭村議会が制定した「ヤンバルクイナの日」。20日から動物愛護週間も始まる。「共生」についてあらためて考えたい。まずは動物のペースも考え車のスピードを落としてみよう。「安全運転をありがとう」。ヤンバルクイナから感謝される日は来るか。
 
  :ヤンバルクイナはいいよなー。みんなに愛されてさ。それに比してマングースのなんと惨めなこと。惨殺につぐ惨殺という「マングースじぇのさいど作戦」決行中という。この差はなんなんでしょーか。鳥類として羽が退化したかわいそうなヤンバルクイナが保護され、インドからハブ退治を期待されて強制連行されてきて、役に立たないからと、惨殺されているマングース・・・。
 
  動物愛護週間で、マングースの惨殺計画について、考えてほしかったな。別にヤンバルクイナに怨みはないが、私は異国に連れてこられて、それでも異環境の中、精一杯に生きてきたマングースが忍びないのです。彼らが何をしたから惨殺されるんだ?ヤンバルクイナのためだけに殺されるのであれば、私は、ヤンバルクイナに絶滅してもらいたい。
 
 それにしても、このコラム書いた者はマングースを動物と認識していないのか・・・・・・悲しいね(T_T)
 なにが、「安全運転ありがとうとヤンバルクイナから感謝・・」だ、ドアホ!もうホント、俺は子供の頃からこんな野郎嫌いだったよ。絶対に仲良しにはなれないし、なりたくないタイプね。教師に褒めてもらいたくて、教師好みの作文書く奴いたでしょ。こいつがそーだ。
 ヤンバルクイナと「共生」したいんか?だったら、一匹残らず、ん?一応鳥だから一羽か?まぁ、どっちでもいいや、すべてのヤンバルクイナを動物園に入れとけ!それで「共生」完了じゃボケ!
 
 ヤンバルクイナよか米軍基地との「共生」でも考えとけ!アホタレ!
 
  マングースも見てね。
  

 
 昨日10月8日付、琉球新報社説を。HPでも見られるのだが、まぁ、読んでみてちょ。
 

 
  オスプレイ県民投票を実施しよう 世界に訴えたい民意尊重
 
   米軍が強行配備したオスプレイの飛行訓練が始まった。全機配備も完了した。県民大会など沖縄側の動きは一顧だにしない、という意思表示にほかならない。
 立て続けの動きは、沖縄側にどんな抵抗も無駄だと思わせ、無力感を抱かせるのが狙いだろう。裏を返せば、立て続けに動かなければならないほど、米軍も沖縄側の動向に神経をとがらせ、焦り、追い込まれているように見える。
 住民に無力感を抱かせるのは植民地統治の常套(じょうとう)手段だ。ここでひるめば日米両政府の思惑通りだろう。沖縄の正当な要求を実現するため、オスプレイ配備撤回の是非を問う県民投票を提案したい。

■国連での演説も
 県民投票を実施する利点はいくつかある。まず考えられるのは、沖縄側の要求の正しさを裏付け、国際的にアピールできる点だ。
 沖縄はこれまで、あらゆる手段で訴えてきた。県民の代表たる知事が配備反対を何度も政府に訴え、県内に41ある市町村の首長全員が反対を表明した。県議会は再々、オスプレイ配備反対決議・意見書を可決した。しかも全会一致でのことだ。41市町村議会すべてで反対決議を可決した。
 それでも足りずに9月9日、ついに県民大会も開いた。国会議員や県議会議員といった政治関係者だけでなく、県婦人連合会など各種団体も参加し、県民の総意であることを示した。いわば、民主主義的手続きを尽くしてきたのだ。こんな地域がどこにあろうか。
 それでも日本政府は聴く耳を持たず、米軍は強行に配備した。
 彼らの非をあらためて浮き彫りにする必要がある。県民投票は民主主義的手続きの最後の手段だ。沖縄側があくまで民主主義的・平和主義的な価値観を大切にしていることを国際的に印象づけることにもなる。
 作家の佐藤優氏は、投票結果を携えて知事が訪米し、米政府に「投票結果の尊重は民主主義国として当然ではないか」と訴えればよいと述べている。同感だ。それをも無視すれば、米国の非道性はいよいよ世界に明らかになろう。
 佐藤氏は、知事が国連総会第3委員会(人権)で演説することも提言する。差別の実態を国際世論に訴えるのだ。このように日米両政府が最も嫌がることを実施することが最も効果的であろう。
 利点はもう一つある。沖縄の実態をゆがみなく反映できる点だ。今、メディアや論壇、政治家や官僚の一部には、「沖縄は実はオスプレイ受け入れに柔軟で、反対しているのはマスコミだけだ」という論調がある。

■差別的言辞
「沖縄の反対はポーズだけで、振興策目当てにごねているだけだ」と主張する者もいる。投票の結果は、その種の差別的言辞のうつろさを雄弁に物語るものとなろう。
 ただ、県民投票の実施には異論もありうる。考えられるのは住民投票の機能をめぐる議論だ。一般的に、住民投票は民意が分かれる課題をめぐって実施される。間接民主主義が機能不全に陥り、民意をくみ取れないとき、それを補う手段と位置づけられているのだ。
 今、沖縄で知事や県議が民意を反映していないかと言えば、そうではない。むしろ十分に民意を体してきた。その意味で、今回は位置づけが明らかに異なる。機能不全は日本政府の方だ。日本にある基地なのに主権を放棄している日本政府の代わりに、沖縄が主権を行使しようとしているのだ。
 沖縄の空と陸の使い方、中でも住民の命にかかわることについて、沖縄の意向に従うのは当然のことだ。住民の意思を無視して日米が決めるのは許されない。今行うべき県民投票は、その当然のことを実現させる手段なのである。
 日米両政府に警告したい。県民投票によってオスプレイは間違いなく否定される。「全基地閉鎖」も絵空事ではなくなる。崖っぷちにいるのはあなた方なのだ。
 
 

 
これ、「琉球新報」の名がなければ、新華社などの中国国内の新聞社説と勘違いしそーな内容だと思います。
 
>米軍が強行配備したオスプレイの飛行訓練が始まった。全機配備も完了した。県民大会など沖縄側の動きは一顧だにしない、という意思表示にほかならない。
 立て続けの動きは、沖縄側にどんな抵抗も無駄だと思わせ、無力感を抱かせるのが狙いだろう。裏を返せば、立て続けに動かなければならないほど、米軍も沖縄側の動向に神経をとがらせ、焦り、追い込まれているように見える。
 
 
 :「沖縄側」という語句がこの部分だけでも三回登場するね。そこまで強調したいのは裏を返せば「琉球新報側」と見透かされたくないからなのね・・・・ポーカー下手でしょ(^^)v
 
>住民に無力感を抱かせるのは植民地統治の常套(じょうとう)手段だ。ここでひるめば日米両政府の思惑通りだろう。沖縄の正当な要求を実現するため、オスプレイ配備撤回の是非を問う県民投票を提案したい。
 
:ん? ん? どこの地域の話だっけ? 沖縄? まさか?植民地にされてる地域のこと言ってるんだよね? だってさ、植民地なら、配備撤回の県民投票やったってさ、意味ないじゃん!植民地側の言うことなんか聞くわきゃねーだろが、アホ!聞く耳持って、総理が会ってくれる植民地ってどんなだよ?つーかさ、日本の総理大臣って忙しいんだぞ。簡単には会えねーんだぞ。都知事だって、簡単には会えねぇだろーな。それを時間取ってくれてるんだから・・・。もし仮に「総理は時間がとれません」なんて言おうもんなら「沖縄差別だ~」なんて言うんだろうな、この新聞社は(T_T)/~~~
 
>沖縄はこれまで、あらゆる手段で訴えてきた。県民の代表たる知事が配備反対を何度も政府に訴え、県内に41ある市町村の首長全員が反対を表明した。県議会は再々、オスプレイ配備反対決議・意見書を可決した。しかも全会一致でのことだ。41市町村議会すべてで反対決議を可決した。
 それでも足りずに9月9日、ついに県民大会も開いた。国会議員や県議会議員といった政治関係者だけでなく、県婦人連合会など各種団体も参加し、県民の総意であることを示した。いわば、民主主義的手続きを尽くしてきたのだ。こんな地域がどこにあろうか。
 
 :ことわっておきますが、縁側は民主主義を信じてない。これ大前提ね。それを踏まえて、上の戯言ですが、まず41市町村の首長は琉球新報が怖いのよ。次の選挙のこともあるしね。仲間の議員さんも同じ。よって右へならえ。
民主主義的手続きを尽くしてきた地域は他にないってか?あるよ、少なくとも縁側は歴史的に見て「あの国がそーだったじゃん!」と言えるね。
 確か、国名はドイツ。ある政党が、当時圧倒的とまでは言えないが、政権をとった。それでは磐石ではないと、徹底的に「民主主義的」に住民投票をしまくって政権を磐石なものにした。それが「ファシズム」と呼ばれる者の正体で、独裁政治とあいなりました。その政党名はナチス。党首はアドルフ君でした(T_T)/~~~
 
 >それでも日本政府は聴く耳を持たず、米軍は強行に配備した。
 
  :そりゃ、「民主主義的」に事を進めるならそーなるだろーよ。日本国1億3千万中沖縄県人口140万人だもの(T_T)/~~~
 
 >県民投票は民主主義的手続きの最後の手段だ。沖縄側があくまで民主主義的・平和主義的な価値観を大切にしていることを国際的に印象づけることにもなる。
 
 
 :平和主義的な価値観を大切にしているなら、オスプレイ反対運動で、基地周辺での凧揚げや風船飛ばすのはよくないと、分別ある大人なら理解できるはずですが・・orz
 それと、これは国内問題ですね。どーして国際的に印象づけねばならないのでしょうーか?琉球新報の言うところの「国際的」とは何を指しているのでしょーか?
 はい、先生! おー、縁側君答えたまえ。 はい先生。琉球新報の言う国際的とは中国共産党様を指していると思います(T_T)/~~~
 
 
>作家の佐藤優氏は、投票結果を携えて知事が訪米し、米政府に「投票結果の尊重は民主主義国として当然ではないか」と訴えればよいと述べている。同感だ。それをも無視すれば、米国の非道性はいよいよ世界に明らかになろう。
 
 :砂糖じゃなく、佐藤なんて日和見野郎はどーでもいいが、同盟国で何十年とわが国が経済重視でこれた安保の締結国にたいして「非道」とは・・・。こいつら仁義もわきまえてねぇクズ会社だな。親米だなんだなんてレベルの話じゃねーぞ。クズ会社!
 
 >利点はもう一つある。沖縄の実態をゆがみなく反映できる点だ。今、メディアや論壇、政治家や官僚の一部には、「沖縄は実はオスプレイ受け入れに柔軟で、反対しているのはマスコミだけだ」という論調がある。

 :おお、すげぇ、タイマン勝負する気かい?遠吠えドッグのくせに(^^)v ってそれ俺のことか?(T_T)/~~~
 その論調は正しくもあり、間違いでもある。既存の言葉では説明できない土地柄なんですわ。前回のエントリー見てもわかるでしょ、皆の衆(ーー;)
 
 >「沖縄の反対はポーズだけで、振興策目当てにごねているだけだ」と主張する者もいる。投票の結果は、その種の差別的言辞のうつろさを雄弁に物語るものとなろう。
 
 :いやいや、差別を雄弁には物語らねーな。ただただ、学力47位という事実だけを雄弁に物語るだけですわ(T_T)/~~~
 ハッキリ言うぞ。前回のエントリーのようなじーさんみたいなのが、うじゃうじゃいるのが沖縄だ。これが真実!誰も文句ねーよな?俺はウソ書かねーもの。それだけはウソじゃねー(T_T)/~~~
 
 >今、沖縄で知事や県議が民意を反映していないかと言えば、そうではない。むしろ十分に民意を体してきた。その意味で、今回は位置づけが明らかに異なる。機能不全は日本政府の方だ。日本にある基地なのに主権を放棄している日本政府の代わりに、沖縄が主権を行使しようとしているのだ。
 
 :すげぇ、これ書いた論説委員ってすげぇ。「よくがんばった!感動した!」って表彰式でどっかの総理が言ってたな、あれ思い出したよ(T_T)/~~~
 それにしても、すごいね、琉球新報は。国家主権を沖縄が・・・って、冗談でもふつう書けねーぞ。いやほんと、すげぇ。
 いちおう言っとくと、日本政府はただただ、「国と国との約束事を大事に大事にしたいという極めて真っ当な姿勢」だと思うんだけどね。
 
 >沖縄の空と陸の使い方、中でも住民の命にかかわることについて、沖縄の意向に従うのは当然のことだ。住民の意思を無視して日米が決めるのは許されない。今行うべき県民投票は、その当然のことを実現させる手段なのである。
 
 :何が言いたいのかもうわかるよね、皆さん。「沖縄の意向に従え!」だとさ。さっきから何回も出てくる「沖縄側」もそうだけど、この「沖縄」は琉球新報なのでしたwwww。
 
 >日米両政府に警告したい。県民投票によってオスプレイは間違いなく否定される。「全基地閉鎖」も絵空事ではなくなる。崖っぷちにいるのはあなた方なのだ。
 
 :もう県民投票やった気でいるよ(T_T)/~~~
 それにしても、「警告したい!」とか、「全基地閉鎖」とか、「あなたがた(日米政府)は、崖っぷち」とか、ふつーの日本国民は、まぁ使わねぇ言葉だな。中共の中南海あたりで聞こえてきそーだが・・・orz
 
 琉球新報の狙いはただ一点!
 
  
        革命
 
ただそれだけのことなのでした。琉球新報に巣食う革マルやそのシンパの積年の夢が、中国の尖閣および琉球列島奪取発言で現実味を帯びてきたわけで、そこに乗じなければバスに乗り遅れるぞ!とばかりに発狂指数急上昇ということか・・・・・。
 
   まぁ、頑張れ、革命家連!
 
 
 

 
 10月7日付の琉球新報オピニオン欄に「論壇」というコーナーがある。これはネットでは見られないので縁側が紹介したい。読んでください。
 

 
   古い文献に沖縄の呼称と思われる「阿児奈波」があるが、”ウチナー”の聞き違いによるものであろう。 ”沖縄” は侵略者である明治維新政府によって名づけられた蔑視語で、ウチナーを意図的に漢字表記したものである。語源は沖に漂う縄のような島々だからということだが、点の集合体である島々が縄のようであるはずがない。古くから琉球(中国による命名)は ”ウチナー” と呼ばれていた。ウチナーはどのような意味だろうか。
 沖縄では庭のことを ”ナー” という。冊封儀礼や王府行事が取り行われた(原文ママ)、首里城正殿前広場も御庭(ウナー)である。
 結論から言うと ”ウチナー” は内庭を指す言葉である。今でも地方では、屋敷の入り口にヒンプン(厄よけ、面隠し)を備えた民家を見る。庭(ナー)は収穫した穀物をニンブク(わらで編んだ敷物)に広げ天日乾燥させ熟成を待つ。庭は日常生活と切り離すことのできない大切な場所だった。
 牧志御願(まきしうがん:ルビは縁側)から崇元寺(そうげんじ:ルビは縁側)にかけたあたりはウチナー(内庭)と呼ばれていたようだ。一帯は内航船による物流の拠点であったことから、王府にとって重要な場所となっていて、庶民の屋敷庭(ヤシキナー)や王城の御庭(ウナー)と同じ意味でウチナー(内庭)と呼び称されたのであろう。後世のもので ”おきなわ御嶽” の碑が今も立っている。
 地方自治体の名称は、そこに住む人たちの顔である。維新政府は廃藩置県により行政区分の組み替えを行っている。新県名は統治者であった旧大名の居城所在地名をあてている。例えば、薩摩藩は居城が鹿児島にあったので鹿児島県、日向は宮崎にあったので宮崎県、肥後は熊本にあったので熊本県といったように、旧藩の統廃合はあったものの大方原則通りの命名となっている。例外の代表的なもので江戸(東京、西の京都に対比した命名)。蝦夷(北海道)、征服地・琉球(沖縄)等がある。琉球藩は原則に従うと当然、王城のあった首里県になるべきだった。しかし、琉球藩は不本意にも意味不明の「沖縄県」となる。
 何故に琉球藩は例外とされたのか。維新政府は藩民の組織的抵抗による旧王国への回帰をことさら恐れ、未然の防止策として旧王国と縁のある言語、凡俗、文物等の伝統文化は無価値なものとして位置づけ、恣意的なヤマト文化を押し付けることによって、王国の徹底した破壊を強行したのである。
 日米安保条約のリスクだけ背負わされ、日本国の南の端にぶら下がったままで真の意味の幸せや平和がくるのだろうか。 ”基地の島・沖縄県” では次世代が可哀想だ。琉球県、うるま県、首里県、他にもあろう。希望のもてる新しい県名の選択を急ぐべきである。(豊見城市 72歳)

 
 どーです?凄いでしょ。沖縄のこの方(男性)と同年代の者はホントこんな感じのボケ老人が多い(T_T)
 
 このいちおう「論壇」と称している学級文庫にも載せられないような作文が紙面を大きく割いて掲載されるのが琉球新報というわけだ。
 
 何が言いたいのか最後のほうで理解したのだが、途中まで何が言いたいのか、何を論じたいのか、まったくわかりませんでした。ゴメンネ馬鹿で(^^)v
 
  
 >”沖縄” は侵略者である明治維新政府によって名づけられた蔑視語で、ウチナーを意図的に漢字表記したものである。語源は沖に漂う縄のような島々だからということだが、点の集合体である島々が縄のようであるはずがない。
 
  :「沖縄」って蔑視語なんだとさ、このじーさんに言わしゃーさ。そうかい?蔑視語? その理由がウケる。
 
 「点であって縄じゃねぇー!」だとさ(T_T)
 
 もうね、オスプレイ開発した人に教えてやりてーよ。こんなじじいらが反対してるんだぜ?もうね・・・・・・・・orz   残念だ。
 
 >冊封儀礼や王府行事が取り行われた(原文ママ)
 
   :72さいのじーさんも、りゅうきゅうしんぽうのよいこも、かんじはただしくつかいましょうね。(執り行われた)
 
 
 >今でも地方では、屋敷の入り口にヒンプン(厄よけ、面隠し)を備えた民家を見る。
 
  :まぁ、これは鹿児島の知覧あたりの武家屋敷でも見られる。特に沖縄だけではない。以上
 
 >庭(ナー)は収穫した穀物をニンブク(わらで編んだ敷物)に広げ天日乾燥させ熟成を待つ。
 
  :どーでもいいことだけど、穀物って天日干しすると熟成が進むんかい?誰かおせーてちょ。それと、ニンブクという物は、当時の農民の敷布団なのですね。土間に敷いて寝るのね(T_T)
 
 
 >琉球藩は原則に従うと当然、王城のあった首里県になるべきだった。しかし、琉球藩は不本意にも意味不明の「沖縄県」となる。何故に琉球藩は例外とされたのか。維新政府は藩民の組織的抵抗による旧王国への回帰をことさら恐れ、未然の防止策として旧王国と縁のある言語、凡俗、文物等の伝統文化は無価値なものとして位置づけ、恣意的なヤマト文化を押し付けることによって、王国の徹底した破壊を強行したのである。
 
  :無理あるでしょう。維新政府が「バカしかいない」のなら、上の論に文句はない。が、常識的に考えても、民の組織的抵抗を恐れるなら、伝統文化の継承を認めるだろーよ、ある程度は。言語や文物を無価値なものとしたら、組織的な抵抗を受けるんじゃね?逆なんだよ、逆!
 ついでに言っとくと、藩民の組織的抵抗ってね、士族階級のそれも脱清人よろしく一部の者らに限定されちゃうんですが・・(T_T)
多くの琉球の民は、「飯食わしてくれる人が支配してくれ!」なのでした(T_T)/~~~  現在がそーじゃん、ね~皆さん。
 
 >日米安保条約のリスクだけ背負わされ、日本国の南の端にぶら下がったままで真の意味の幸せや平和がくるのだろうか。 
 
  :ほんと、こんなじじぃが言いたい放題できるんだから幸せだと思うんだけどなー。
 
   「真の意味の幸せや平和」ってどんなんかおせーてちょ?
 
  なんとな~く情緒たっぷりに、それらしいこと書いてりゃ読者が納得するとでも思ったか、じじぃ!こんなの子供に読ませられんだろよ。勘弁してくれ~m(__)m
 
  >”基地の島・沖縄県” では次世代が可哀想だ。琉球県、うるま県、首里県、他にもあろう。希望のもてる新しい県名の選択を急ぐべきである。
 
  :「基地の島沖縄県では次世代が可哀想だ」と言うから、次には「基地を撤去しよー!」とくるかと思いきや、
 
   
 琉球県 ですっって(^^♪ 参りましたm(__)m
 
 
 このじーさんってさ、結局、日本政府が命名した「沖縄県」は蔑視語で、許せないし次世代が可哀想だけど、「琉球県」だと中国の命名だから素晴らしくて、希望がもてるいい名称だ、って言いたいだけだよね?そー読めるよな? よお、じーさん一度サシで泡盛でもどう?ご馳走するぜ(T_T)/~~~
 
 この作文読んで思ったんだけど、このじーさんって、ご自分のお名前はご自分で命名したんだろーね(T_T)
 
 「何々と呼ばれていた・・・」ってのはね、他者がこちらをどう呼んでいたかってことなのね。他者を意識しない者に名はいらないわけ。よーするにだ、「名称」の多くは、「他者」が恣意的に決めるものなのでしたチャンチャンと。
               謝謝(^^)v
 

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