10月28日付琉球新報社説をご紹介。って言ってもウェブサイト上で見られるんだけどね。以下引用。
沖縄戦国賠訴訟 国は不誠実な姿勢改めよ
沖縄戦被害国家賠償訴訟(命どぅ宝裁判)の第1回口頭弁論で、過酷な戦争体験を切々と語り国に謝罪と賠償を求めた原告に対して、国側は「原告の事実主張に対して認否する必要はない」などとして請求棄却を求めた。
肉親を失ったり、戦争孤児となったりした原告らの訴えに真摯(しんし)に耳を傾けることもなく、法律論だけで退けようとする国の姿勢は、不誠実と言わざるを得ない。
沖縄戦では多くの住民が戦闘に巻き込まれた。この訴訟は、戦争体験で心身に深い傷を抱え苦しみながら高齢になった人たちの最後の訴えだ。誤った国策に対する反省として、国は原告らの主張に真剣に向き合う必要がある。
国は「国家無答責の法理」と、「受忍論」を展開し、原告の主張には根拠がないとしている。
国家無答責の法理は、国家賠償法制定前の明治憲法下では国の公権力行使で損害が生じても、個人は民事上の損害賠償を求めることはできないとする考え方だ。
しかし、戦後67年たっても国は戦争による民間の戦争被害者を放置している。不作為による人権侵害が続いていると言われても仕方ない。その一方で軍人、軍属、準軍属には恩給や補償として総額約52兆円が支給されている。
国家無答責の法理によって、国策による民間人の犠牲だけを放置することが果たして公平と言えるのか、との疑問が出るのは当然だ。
現に戦時中の強制連行に対する損害賠償などを求めた2004年の訴訟で、新潟地裁は「国家無答責の法理」について「正義・公平に反する」として退けている。
受忍論は、全国各地の空襲被害に関する訴訟の最高裁判例を踏まえ「戦争被害は等しく受忍しなければならない」とする。
しかし、おびただしい数の住民を巻き込んだ地上戦、沖縄戦に当てはめることが妥当か。日本軍は住民を守るどころか、住民虐殺や壕追い出しも起こした。「醜さの極地」といわれる沖縄戦の被害を、受忍しろと果たして言えるのか。
原告40人の平均年齢は77歳を超え、最高齢は91歳という。
裁判所には原告らが訴える戦争体験の事実関係を一つずつ吟味し、丁寧に審理を進めてほしい。人生最後の思いを込めた原告の訴えに、人権の最後の砦(とりで)として真正面から向き合ってもらいたい。
命どぅ宝裁判なんてネーミングの訴訟らしい。センスの悪さが際立ち過ぎる。俺に頼めばもっといいのにしたのにね(ーー;)
>肉親を失ったり、戦争孤児となったりした原告らの訴えに真摯(しんし)に耳を傾けることもなく、法律論だけで退けようとする国の姿勢は、不誠実と言わざるを得ない。
:あの~、いちおう「法律論」を戦わすとこが裁判所というお役所なんですが・・・・、それを不誠実と言われてもねぇ。戦争孤児の方や肉親を亡くされた方には同情申し上げるが、それなら俺も原告になれるわけだ。戦争でじーさんとひぃじーさん亡くしてるからな。
例えば、肉親が自動車にはねられ死んだとする。遺族が「自動車という人を殺せる機械を日常的に利用しなければ、日々の生活にも支障が出るような、今日の社会にしてしまった国の責任は重大である。」なんて理屈もアリか?
>沖縄戦では多くの住民が戦闘に巻き込まれた。この訴訟は、戦争体験で心身に深い傷を抱え苦しみながら高齢になった人たちの最後の訴えだ。
:死ぬ前にわざわざ辛い体験を裁判所で話すこともないと思うけどね。辛い体験を無理やり話させられたってんならわかるけど、進んで「俺は(私は)、辛かったんだ~」ってさー、高齢になるまで、楽しかった思い出とかないんか?辛かったことを殊更言い募る人生って傍からみても悲しい人だなと思うよ。とまぁ、原告の高齢者がそんな人なら、悲しい人なんだけど、ところがそーじゃないんだな、これが。原告団は反日活動家で、高齢者は彼らの口車に乗せられて、よく理解しないままに担ぎ上げられた格好なんだな。おそらく全国的にこのような訴訟は根がひとつなんだ。似たような格好で担ぎ出されてる高齢者も多いと思うぞ。
>国家無答責の法理は、国家賠償法制定前の明治憲法下では国の公権力行使で損害が生じても、個人は民事上の損害賠償を求めることはできないとする考え方だ。
しかし、戦後67年たっても国は戦争による民間の戦争被害者を放置している。不作為による人権侵害が続いていると言われても仕方ない。
:この「駄文」さー、変でしょ?へんだよね。「変」な箇所みつけられましたか?
そーですね、しかし戦後67・・・・の「しかし」の用法が誤り。前後の文章読んでみ。この「しかし」でまったく意味不明な駄文となっている。縁側同様に、国語能力に難のある者が書いてるのだろう。まさか中国人じゃねーだろーな?
いちおう、沖縄県内№1のシェアを誇る新聞社の昨日の社説であります、はい(T_T)/~~~
>国家無答責の法理によって、国策による民間人の犠牲だけを放置することが果たして公平と言えるのか、との疑問が出るのは当然だ。
現に戦時中の強制連行に対する損害賠償などを求めた2004年の訴訟で、新潟地裁は「国家無答責の法理」について「正義・公平に反する」として退けている。
:確かに新潟地裁ではそのような判決が出ている。がだ、高裁、最高裁ではその逆です。やっぱり国家無答責の法理が適用されました。まぁ、当然だろう。当時(昭和20年)は、国賠法のない時代だもの。ここで言いたいのは、新潟地裁の判決だけを言い、その後上級審で原告が敗訴した事実を伏せての論なんかするなドアホ!ということ。
>受忍論は、全国各地の空襲被害に関する訴訟の最高裁判例を踏まえ「戦争被害は等しく受忍しなければならない」とする。
しかし、おびただしい数の住民を巻き込んだ地上戦、沖縄戦に当てはめることが妥当か。
:ここでの「しかし」の使い方は・・・・・・・正解でwwwwwす(^^)vいや~、2連敗なら琉球新報のトイレで用を足して流さずに帰ることまで考えてた縁側です(^^♪
>原告40人の平均年齢は77歳を超え、最高齢は91歳という。
:ご苦労さまですm(__)m
>裁判所には原告らが訴える戦争体験の事実関係を一つずつ吟味し、丁寧に審理を進めてほしい。人生最後の思いを込めた原告の訴えに、人権の最後の砦(とりで)として真正面から向き合ってもらいたい。
> :ここで言うところの「人生最後の思い」って何?もうすぐ死ぬってか?この論説委員は原告のじーさん、ばーさんの死期まで見えてるのか、スゲェ(T_T)
ところで、「人生最後の思い」って何?
ホント、じーさんばーさん引っ張り出して死ぬまで原告として心労させる気なんだろーな。罪な連中だよ、反日活動家ってのは。
人権最後の砦って、あーた、バカじゃねーのか? こんなクソ訴訟おこして、いったいどれだけ裁判所の「無駄」を増やしてんだアホたれ共が。税金の無駄遣いだろが、ボケ!
俺なんて世間の嫌われ者だよ。その俺が「人生最後かどーかわからんけど最後になるかもしれない思い」を込めてだ、訴えをおこしてやろーか!
「日常を脅かすかのような世間の冷たい視線に縁側は、ただただ身震いし、精神を毀損され続けております。このような恒常的差別は、憲法における幸福追求権の侵害であり、それは国の失策に基づくものなので訴訟をおこさせてもらいます」(T_T)/~~