縁側の 「逆風って気持ちいい!」

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2009年05月

今週末、土曜日に沖縄県那覇市で田母神俊雄元航空幕僚長の講演会があるようです。私も行きます。
 
演題は「日本は本当に侵略国家だったのか」
 
う~ん。演題見る限りでは、沖縄タイムスや琉球新報の記者が翌日の新聞に何を書くかは予想できる。まぁ、一段のベタ記事であることは間違いないな。
 
「田母神氏自論を展開」とか「侵略国家ではない!田母神氏講演会で」とかの小さな見出しで、予想記事は、
 
 元航空幕僚長である田母神俊雄さんが那覇市内のホテルで講演会を開いた。会場には約七十人(主催者発表)が訪れた。田母神さんは講演の中で、「日本は侵略国家であったと主張する人たちがいるが間違いだ。自国に誇りを持とう」、と強調し、沖縄については、「米軍は日本の安全保障上必要不可欠。自衛隊の配備を拡充し、国境の地である自覚を持ち祖国防衛に理解を示さなければならない」、と求めた。また、同日、沖縄平和運動センター主催のセミナーが那覇市内で開かれ、崎山嗣幸議長は、「本日、歴史修正主義を唱える元自衛官が来沖講演しているようだが、我々沖縄県民の苦悩・人権弾圧・平和への想いを本土へ発信しよう」と挨拶し、会場に詰め掛けた300人(主催者発表)の支援者の拍手に「この熱い沖縄の魂で米軍基地を撤廃し、平和憲法を守る戦いを継続していきましょう」と呼びかけた。
 
とまぁ、最後には、「平和の勝ち」、「好戦的歴史修正主義者の敗北」を印象付ける記事となるだろう。
 
 
 

自民党国防部会の防衛政策検討小委員会が開かれ、政府が今年末に予定する新防衛計画の大綱を閣議決定に向けた提言を基本合意した。北朝鮮の核実験再開や、長距離弾道ミサイルの発射を受け、敵基地攻撃能力の保有やミサイル発射を探知する早期警戒衛星に研究・開発などを打ち出した。提言は、「現状は米国のミサイル防衛システムと打撃力に依存している。米国の政策転換に柔軟対応するためにも専守防衛の範囲で必要」。と強調した。敵基地攻撃能力保有論について、小委員会では「北朝鮮の脅威レベルは上がった。最初の一撃を受けてからでは遅い」と支持する意見が相次いだ。だが、山崎拓前副総裁は「言うはやすく、行うは難しだ。日米同盟で役割分担している。膨大な経費がかかる」と疑問を示した。ただ、提言に敵基地攻撃能力を明記することは大筋で了承された。
 
 
山崎拓は、どーしてチャチャ入れるのかねー。北に股間でも鷲掴みにされてるんだろーか。はたまた金か。まぁ、世界市民化推進派ではないわな。あの顔は。イジめられっこが、成長段階で根性捻じ曲がったら、あーなるのかなー。
 
イジめられっこが一念発起して、頑張った好例がチャンプ内藤で、悪例が山崎拓という見方もできるなー。(できるか?)
 
それにしても、「専守防衛」ってさー、なんて気持ちの悪い言葉なのかね。誰に向かって言ってるんだろーねー。「専守」ってさ。もっとも、「先制攻撃は専守防衛の範囲内」と付け加えるのなら専守防衛でもいいんだけど。
 
先島諸島に陸上自衛隊を配備する方向で検討するみたいだけど、とっととしなきゃね。遅いくらいだよ。島の経済活性化にもなるし、一石二鳥だーな。よい傾向です。(~o~)
 
 
 
 

昨日、最高裁でシナ人の敗訴が確定した。
 
旧日本軍がシナに遺棄したとされる(?)毒ガス兵器や砲弾で戦後に被害を受けたとして、シナ人被害者ら22人が日本政府に損害賠償を求めていたみたいね。2件とも上告棄却されたが、ほかに似たような訴訟がまだ2件あるようです。
 
しっかし、ホントに旧日本軍が遺棄したものなのかね?中共に譲渡したっていう話もあるし、武装解除後にソ連軍が遺棄したってのも聞くし、国民党と中共の内戦時のもので、中共が勝利後に遺棄したって話もある。日本政府はなんで認めたのか。
 
認めた当時はどーせ、村山富市が首相時代なんじゃねーの?よく知らないけど。
 
気に入らないのが、シナ人のお世話をして差し上げている日本人弁護士連中。こいつら、原爆症に苦しむ方々を助け、アメリカに損害賠償請求したことはあるのかね?ないだろーな。聞いたことないもの。
 
毒ガス兵器処理費はわが国が拠出しているようだが、どのくらい金かかってるんだ?1000億以上は使ってるんじゃねーの?
毒ガス被害に遭っているシナ人に中国政府からはビタ一文でないらしい。よくもまー、反日教育して日本を憎悪してる国の民を自国の民以上に、援助する日本。
 
イジめっ子から、「明日までに5万円もってこい!もってこなきゃお仕置きだかんな!」と言われ、親の財布からこっそりお金抜き取っているイジめられっ子のようですな。ODAが終わったら毒ガス処理費、多分毒ガスだけで「兆」の単位の血税むしり取られるはずだよ。いいのかなー、そんなんで。
 
とにかくシナとはもめないでくれ!と、シナからキックバックを受け取っている賊議員や、シナへ進出している企業連からの要請みたいのがあるのかなー?財政「真っ赤っかのか」なのにね。(ToT)/~~~

昨日の琉球新報に中国大陸から光化学オキシダントを大量に含む大気の塊りが沖縄地方を覆っており、沖縄ではあまり聞かない「光化学スモッグ警報」が発令されるかもしれないとのこと。気象を利用しての攻撃までかけやがるんだよな。あの国は。まさにこれこそ「罪の巨塊」だな。
 
同紙のオピニオン欄に「やっぱり生息してたな!こんな奴が」と頷いてしまう投稿があったので紹介する。
 
十三日の本紙社説(http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-144445-storytopic-11.html)に、糸満市で起きた不発弾事故で大けがをした被害者に対し見舞金では不十分、とある。まさしくその通りだと思う。そもそも見舞金とは縁者や友人、知人などが金品を贈って慰め励まし、一日も早い回復を願っての好意であり、当事者の国は早急に被害者の治療代をはじめ、回復に必要な物心両面の救済を施し、完璧な補償を尽くすべきである。
 国は戦争を仕掛け、県民に多大な犠牲を払わせた。戦後の補償を完璧に尽くすことが戦後処理の基本であり、国は人道上逃れられない義務を負っている。それを見舞金だけでお茶を濁す行為は厳に慎むべきである。反して現状維持をたくらむなら、県民に対し、大きな屈辱であり、不要な反感を買うことになろう。
 戦時中は二十万人余の県民を犠牲にし、戦後は米軍の生け贄に捧げ、復帰後は安保の要石にされ、米軍基地を強化し、恒常的に派生する基地被害や米兵の事件事故の洗礼を受け続けている。
 そのような境遇の中にある沖縄県民の戦後処理を、見舞金だけで済まそうとする魂胆に日本人の良心のかけらも感じない。今回は七百五十万円の見舞金を支払うことになった県不発弾等対策安全基金からの出費で、その基金は沖縄特別振興対策調整費の一部を充当したもの。調整費には県民の税金が20%も投入されており、国が起こした戦争に沖縄県も加担したことになり、理解できない矛盾が生じる。どう考えても見舞金だけでは無理があるが、事故発生から四ヶ月たってもまだ何の補償もない。一刻も早い救済で責任を果たすべきである。
 国の戦後処理の遅れから、戦後六十四年たってもいまだに二千五百トンの不発弾が未処理のまま埋まっているとのこと。沖縄県民は火薬庫の上での生活を強いられ、地上では米軍の実弾演習場からの流れ弾、地中からは不発弾爆発と、まだ戦後は終わっていない。しかもすべてを回収して処理されるまで八十年かかるとの予測である。
 最近、米軍人が起こす事件や事故が80%も起訴されず不起訴処分の特別扱い、また、有事の時に核爆弾持ち込みも可能の密約が公文書から明らかにされた、と報道にある。国民の知る権利をねじ伏せ、次々と密約が発覚するのは国民に対する裏切り行為である。戦争に関する問題が山積するのは沖縄県だけで、二十七年間の異民族支配が尾を引いている。県民が受けたすべての被害を考慮し、別枠の戦後処理は国の義務である。
 
 
67歳、自営業のおっさんの投稿文だが、いかがでしょう?見事に県内二紙に洗脳された御仁といえる。沖縄には、こんな50代、60代、70代のいい歳した大人がごろごろしている。困ったものでありまする。
 
このおっさんの意見に賛同するものが、沖縄にはかなりの数、生息している。
 
これ以上、コメントしようがない。(ToT)/~~~
 
追記:暇な人は先日のエントリーも合わせてよんでほしい。
http://blog.livedoor.jp/osamu5138/archives/1580280.html
 
 
 
 
 

今日は、私の家の床の間に飾ってある泡盛入りの壺屋荒焼酒甕を紹介します。大きさは三升入りです。作者は「現代の名工」に指定されている新垣栄用氏です。わが沖縄が誇る壺屋焼の名工の作です。
 
 
          
 
 
              
 
「栄用」の名が読めるでしょ。将来、人間国宝にでもなったらあーた!すごいことですよ。
 
 
 
この甕を手に入れたのは、愚息(長男)誕生の日でした。朝早くに産まれ、「記念になるものを」と考え思いついたのが、酒甕に泡盛入れて、息子が二十歳になったとき、飲むってのもいいなー。なんてことで、さっそく首里にある新垣氏の工房へ。
 
しかし、よ~~~~く財布の中みたら二千円しかない。入り口をうろうろしてたら、そこへ御かみさん(だと思う)が「どーしました?」と声をかけてきた。私は、息子が産まれたこと。二十年後にいっしょに飲みたいこと。を話したら、「どーぞ、見ていきなさい」のお言葉。立派な甕を一つ一つ見ているとき金のないのを思い出した。「すいません。これおいくらくらい・・・。」カタチのよいどっしりと風格のある甕を指差し聞いた。たしか金額は4~6万円(17年前)だったと思う。
 
 
「う~ん、結構するんですね。」と泣きそうな顔をしながら(だったと思う)、呟いた私の顔をじ~っと見て、御かみさんが「いま、いくらもってるの?」と聞いてきた。私は正直に「二千円しか・・。」と答えると、少しうなってから「いいよ、それで。もっておいき。」私は、耳を疑って「えっ!いいんですか?」と叫んだと同時に、御かみさんの顔を覗き込んだ。まるで仏様のような、そのお顔を見たとき思わず涙ぐんでしまいましたが、人前で泣くのは恥だという思いから、必死にこらえました。
 
帰り際に何度もアタマを下げお礼をいうと、「いいから、いいから」と笑顔でこたえてくれた。ほんと優しい人でした。
息子が二十歳になったら、共にご挨拶に伺わなければ、と思っていたりしてます。
 
 
 

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