終戦の二ヶ月前の昭和二十年六月十四日付け朝日新聞社説より
以下引用する、なお、旧漢字や旧仮名使いは現在の仕様にしてあります。
思想の争い
「戦争は直接には、武力の衝突である。少し掘り下げると生存の競争、国力の葛藤である。しかし、それらの拠ってもって立つところの思想的根底がいかに重要なる要素を為すかについては、世上の注意は案外に散漫である。この角度から見ると戦争は思想の争いとしての面を多分にもっていることが見逃せない。いま欧州●●をめぐる英米対ソ連の摩擦の背後には、最も顕著にそれが現れている。ソ連は漸進的方法ではあるが、土地開放を企てているようである。ルーマニアに、ポーランドに、しかしてプロシャにも●て及ぼして来るに相違ない。
これは一面において、英米との角逐手段ではあるが、他面、ソ連本来の思想の発露であり、ドイツ再台頭の根幹を破壊せんことを目的とする。というのは、ドイツ帝国の創成以来、精神的、人物的基礎はプロシャの地主出身の軍人官僚にあり、ナチスの第三帝国においても、ナチズムは政治経済の纏まりたる組織を提供はしたが、ドイツ国家の精神的支柱は依然従来のプロシャ魂にあった。その点はちょうどソ連において、半アジア的な信仰的で忍耐強き服従心をもつ農民に国力の素材があり、ソヴィエト主義は、それをより能率的により強力に制度化した外延的、外郭的機能をもつのと同断であると思う。
ともかく、ソ連の対欧策はドイツの基本的な指導力をその基礎において抑制しつつ、大衆としての民族性はこれを認め、統一政権も許し、その上多少の軍隊をすら存置せしめんとしつつあるものの如くである。それは、恐らく社会民主主義者または自由主義者の閣僚の間に一、二枚真に力のある左派を挟んで置けば、楽にこれを駆使し得ると考え、かつまた警察隊程度の軍隊そくばくを存在せしむるも別段の脅威を感ずるほどのこともないとの、太っ腹な態度を把持しているのようであろう。
かかる態度は、然らば一体どこから由来するのか。それはいうまでもなく、その思想から来る。世界に対し、欧州に対し波及せしめんと多年国是としてきたその思想に基づく。東洋に対しては、その影響力は比較的に希薄である。より深き思想思索の歴史をもち、対立差別を前提とする闘争観念よりも、大いなる融合調和のうちに生成化育しゆく伝統と現実が、より以上の哲理と真理を内在しているからである。しかしながら欧州ではそうはゆかぬ。
英国の旧き分割主義、勢力●●の考え方は植民地獲得時代からの癖ともいうべきものであり、米国のゆき方は一種の統一的に、そっくり支配してゆきたい野望はもっているが、その思想的背景は、浅薄で、無邪気な繁栄主義を出でないことは、米国の対内対外を問わず、共通であり、従って英米共同の対欧策は地域主義に繁栄策をこきまぜた程度を出で得ないであろう。そこでソ連は欧州の政治、経済、社会に攻撃的立場をとる。これに対し、米英は今日のパン、明日のスープを欧州に供与することのみを武器とし、守勢防衛の思想戦態勢を余儀なくされるほかはあるまい。しかも、東洋とちがって欧米では、この思想攻撃にぐいぐい押しまくられる危険を感ずる程度の思想、哲学、宗教の水準しか持ち合わせていないのである。
と見て来ると、いま最も激甚なる現実の思想戦は英米とソ連との間に戦われつつあると云っても決して過言ではない。果たして然らば、その建国以来、英米を世界搾取の総本山と非難し、とくに植民地、半植民地について民族解放、支配絶滅を根本信条として来たソ連は、いまやドイツの強引な挑戦以来、成行きとして米英陣営に加わった因縁から徐々に解き放たれ、その建国の精神に復帰しつつあるかに観測される。延いては、米英だけが「平和の愛好者」と見る見方も些か動揺せざるを得なくなるかも知れぬ。殊に、三大広域国 ソ、米、英の●立のうち、全く孤立の立場にある内省も動き始めつつあるのを察すると、今後欧州情勢を契機とするソ連の国際政治方策の推移は、世紀の謎なるかに米英指導者に映じはじめているのは極めて当然というべきではなかろうか。」
当時、米英と戦争状態にあったわが国の主要メディアとしては、「敵の敵は味方」の理
屈によって、ソ連(当時)を持ち上げる論調になるのは仕方の無いことだと思う。
だが、戦後GHQの占領以降、朝日の姿勢といえば一貫して親ソ連と化した。その様態
からして、この社説の文責者及びその他上層部の幾人かはすでに「赤色化」していた
と断じてよいのでは、と思うのだが・・。
>東洋に対しては、その影響力は比較的に希薄である。より深き思想思索の歴史をもち、対立差別を前提とする闘争観念よりも、大いなる融合調和のうちに生成化育しゆく伝統と現実が、より以上の哲理と真理を内在しているからである。しかしながら欧州ではそうはゆかぬ。
この文章ひとつとっても、「東洋」というけれど、「わが国」とは言わない。さらに、
欧州では共産化を防ぐのは困難だが、東洋は思想的に勝っているから大丈夫、と
危機感を持たせない論調は現在の竹島や、尖閣に対する論調と酷似する。また、ソ連
共産主義は、列強による植民地の支配絶滅と、民族解放を掲げたわが国の当時の国
策とダブらせて、立派な国家であるかのように説く。32年テーゼを真に受けた尾崎秀
実をはじめとする共産主義者が朝日上層部を当時から牛耳っていたと見たほうが正し
い歴史観のような気がする。当時の戦争を煽る理由もそのあたりからだろう。
以下引用する、なお、旧漢字や旧仮名使いは現在の仕様にしてあります。
思想の争い
「戦争は直接には、武力の衝突である。少し掘り下げると生存の競争、国力の葛藤である。しかし、それらの拠ってもって立つところの思想的根底がいかに重要なる要素を為すかについては、世上の注意は案外に散漫である。この角度から見ると戦争は思想の争いとしての面を多分にもっていることが見逃せない。いま欧州●●をめぐる英米対ソ連の摩擦の背後には、最も顕著にそれが現れている。ソ連は漸進的方法ではあるが、土地開放を企てているようである。ルーマニアに、ポーランドに、しかしてプロシャにも●て及ぼして来るに相違ない。
これは一面において、英米との角逐手段ではあるが、他面、ソ連本来の思想の発露であり、ドイツ再台頭の根幹を破壊せんことを目的とする。というのは、ドイツ帝国の創成以来、精神的、人物的基礎はプロシャの地主出身の軍人官僚にあり、ナチスの第三帝国においても、ナチズムは政治経済の纏まりたる組織を提供はしたが、ドイツ国家の精神的支柱は依然従来のプロシャ魂にあった。その点はちょうどソ連において、半アジア的な信仰的で忍耐強き服従心をもつ農民に国力の素材があり、ソヴィエト主義は、それをより能率的により強力に制度化した外延的、外郭的機能をもつのと同断であると思う。
ともかく、ソ連の対欧策はドイツの基本的な指導力をその基礎において抑制しつつ、大衆としての民族性はこれを認め、統一政権も許し、その上多少の軍隊をすら存置せしめんとしつつあるものの如くである。それは、恐らく社会民主主義者または自由主義者の閣僚の間に一、二枚真に力のある左派を挟んで置けば、楽にこれを駆使し得ると考え、かつまた警察隊程度の軍隊そくばくを存在せしむるも別段の脅威を感ずるほどのこともないとの、太っ腹な態度を把持しているのようであろう。
かかる態度は、然らば一体どこから由来するのか。それはいうまでもなく、その思想から来る。世界に対し、欧州に対し波及せしめんと多年国是としてきたその思想に基づく。東洋に対しては、その影響力は比較的に希薄である。より深き思想思索の歴史をもち、対立差別を前提とする闘争観念よりも、大いなる融合調和のうちに生成化育しゆく伝統と現実が、より以上の哲理と真理を内在しているからである。しかしながら欧州ではそうはゆかぬ。
英国の旧き分割主義、勢力●●の考え方は植民地獲得時代からの癖ともいうべきものであり、米国のゆき方は一種の統一的に、そっくり支配してゆきたい野望はもっているが、その思想的背景は、浅薄で、無邪気な繁栄主義を出でないことは、米国の対内対外を問わず、共通であり、従って英米共同の対欧策は地域主義に繁栄策をこきまぜた程度を出で得ないであろう。そこでソ連は欧州の政治、経済、社会に攻撃的立場をとる。これに対し、米英は今日のパン、明日のスープを欧州に供与することのみを武器とし、守勢防衛の思想戦態勢を余儀なくされるほかはあるまい。しかも、東洋とちがって欧米では、この思想攻撃にぐいぐい押しまくられる危険を感ずる程度の思想、哲学、宗教の水準しか持ち合わせていないのである。
と見て来ると、いま最も激甚なる現実の思想戦は英米とソ連との間に戦われつつあると云っても決して過言ではない。果たして然らば、その建国以来、英米を世界搾取の総本山と非難し、とくに植民地、半植民地について民族解放、支配絶滅を根本信条として来たソ連は、いまやドイツの強引な挑戦以来、成行きとして米英陣営に加わった因縁から徐々に解き放たれ、その建国の精神に復帰しつつあるかに観測される。延いては、米英だけが「平和の愛好者」と見る見方も些か動揺せざるを得なくなるかも知れぬ。殊に、三大広域国 ソ、米、英の●立のうち、全く孤立の立場にある内省も動き始めつつあるのを察すると、今後欧州情勢を契機とするソ連の国際政治方策の推移は、世紀の謎なるかに米英指導者に映じはじめているのは極めて当然というべきではなかろうか。」
当時、米英と戦争状態にあったわが国の主要メディアとしては、「敵の敵は味方」の理
屈によって、ソ連(当時)を持ち上げる論調になるのは仕方の無いことだと思う。
だが、戦後GHQの占領以降、朝日の姿勢といえば一貫して親ソ連と化した。その様態
からして、この社説の文責者及びその他上層部の幾人かはすでに「赤色化」していた
と断じてよいのでは、と思うのだが・・。
>東洋に対しては、その影響力は比較的に希薄である。より深き思想思索の歴史をもち、対立差別を前提とする闘争観念よりも、大いなる融合調和のうちに生成化育しゆく伝統と現実が、より以上の哲理と真理を内在しているからである。しかしながら欧州ではそうはゆかぬ。
この文章ひとつとっても、「東洋」というけれど、「わが国」とは言わない。さらに、
欧州では共産化を防ぐのは困難だが、東洋は思想的に勝っているから大丈夫、と
危機感を持たせない論調は現在の竹島や、尖閣に対する論調と酷似する。また、ソ連
共産主義は、列強による植民地の支配絶滅と、民族解放を掲げたわが国の当時の国
策とダブらせて、立派な国家であるかのように説く。32年テーゼを真に受けた尾崎秀
実をはじめとする共産主義者が朝日上層部を当時から牛耳っていたと見たほうが正し
い歴史観のような気がする。当時の戦争を煽る理由もそのあたりからだろう。