縁側の 「逆風って気持ちいい!」

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2007年11月

朝青龍が来日するようだ。もうすっかり良くなったと朝青龍の兄上がコメントしている。

この問題を見ていると、安倍前総理が辞任に追い込まれたのとダブって見える。

どちらも国民不在でマスコミのマスコミによるマスコミのための偏向報道。

モンゴルのサッカー協会から子供たちのために「出てくれ」と頼まれ数分間ピッチに

立ちプレーしただけ、それだけである。許可なしでの帰国というが、大横綱である、大目

に見るべきである。地元の英雄が帰国して、一緒にサッカーをしてくれた、子供達

にとっては一生の記念になったであろう。当日は中田英寿元日本代表も参加していた

わけで、国際親善の意味合いだって十分あったと考える。それが、やれ相撲協会は公

益法人だ、巡業はお相撲さんにとって国技にとって本場所より大事だ、なんだかん

だ・・・。バカ者どもの戯言!(二宮清純読んでるか?)

朝青龍は、国技大相撲の最高位である横綱を一人で数年もの間、堅守した偉人であ

る。優勝回数20回を超える大横綱である。現時点で史上5位の優勝回数を誇ってい

る。その国技の横綱に対して、なんたる非礼!何たる無礼!

こんなことなら国技の看板など外して、河原でテント立てて興業したらいい。

恥知らずなのは、マスコミだけではない。相撲協会とさらに醜悪な横綱審

議委員会。相撲協会は、横綱とは、心技体すべてにおいて完成した傑物だと喧伝していた

はずだ。その横綱の中でも大横綱とも言える朝青龍に教育もくそもないではないか。

心技体兼ね備えた大横綱がマスコミからバッシングを受けたら逆にマスコミに対し

「無礼者!」と一喝するべきではないか?また、朝青龍は自分から横綱にしてくれ

と懇願したわけではなく、相撲協会が推挙し、横綱審議委員会が満場一致で承認した

のである。もし、朝青龍が横綱に相応しくないとするなら、相撲協会の重役及び横綱審

議委員会の偉ぶったお歴々も早々にお辞めになるべきだ。それをほっかむりして、来

日する朝青龍に事情聴取などと、たわけたことを。恥を知らないとはこのことでは?

特にヒドイのが内館牧子委員。この女史の厚顔無恥ぶりには、呆れる。

厚化粧の下の面の皮の厚さはいかほどか・・。この女史の心性は、大江と大差ない。

偉人に対して敬意を払わない者は、はっきり共産主義者と自覚するべきである。

もっとも、国技館を解体し、河原もんになるのならかまわないが。勝手にしたらいい。

国技大相撲を守りたいのなら、マスコミを含め国民が朝青龍に敬意を払うべきだ。








今朝のワイドショーを見ていた。テレビ朝日だ。青木ヶ原樹海での取材。

自殺希望者を説得していた。そこまではいい。樹海に入り死体を捜してた。

そして発見!警察に通報して一件落着!テレ朝の取材班はいいだろうそれで。

警察のことも考えろよ、少しは。樹海に行けば死体がみつかるのは子供でも

知ってる。じゃあ行くなよ、頼むから。日々のネタ探しが大変なのはわかるが

警察だってヒマじゃないんですが・・。結局、警察による現場検証と死体の

運び出し(といっても骨だけだが)、検死その他・・。このテレ朝という局には社会の

しくみを理解して、良識をもって仕事しようと考える者はいないのか?

こいつらほっといたら、1000人ぐらいの人間を動員して大捜索しかねないな。

「お~い生きてるか~!」「死体はどこだ~!」「死ぬんじゃないぞ~!」

この番組のスポンサーもバカがくだらない番組制作してることなんか興味ないんだろう

なーきっと。そんなに死体に興味があるなら、沖縄に来て62年前に悲惨な死をとげた

方々の遺骨収集手伝え!死にたくて死んだ奴の死体なんかほっとけばいい、日常生

活とは無縁の場所のようだし。信じられないのが、こんなくだらない話題提供しといて、

つぎの話題で、「額賀大臣は今日国会において・・・。」だと。

つぶれてしまえ!テレビ朝日など。


「なんくるないさ」

この言葉が沖縄izmの代名詞のように扱われている。確か、山本キッドがオリン

ピックの代表選抜試合で怪我した際にもこの言葉を使っていたと記憶している。

沖縄から本土へこの言葉が紹介されたとき、意味は「なんとかなるさ!」であっ

たのでしょう、また、沖縄でもそのように理解され使用されている。

言語学者でも歴史学者でもない私だが、この「なんくるないさ」を現代沖縄人

が使用するとき強い違和感を覚える。私の解釈では(もちろん勝手な解釈だが)

「なんくるないさ」を訳すとすれば、

       「人事を尽くして天命を待つ」である。

ともすると、現代沖縄人の中には、なんくるないさを「果報は寝て俟て」と理解し

ているバカ者もいるようだ。そのあたりが学力最下位の一因なのでは?と思って

しまう。

本土の方が、癒しを求めている「オキナワ」にピッタリの言葉として、

なんとかなるさ式の「なんくるないさ」が出現しただけで、それを逆輸入的に

現代沖縄人が使用するのは厳禁であろう。

教育力、経済力で最下位を独走中の現代沖縄人は、人事を尽くして天命を待つ

式の「なんくるないさ」を使用するべきだと思うが、いかがでしょうか皆の衆。



息子たちが兄弟喧嘩をした。

兄には、「お前、兄貴なんだから弟殴ったらダメだろ」

弟には、「お前、弟なんだから兄貴はたてろ」

叱り方にも気を使う。立場の違いで対応が違ってくるのは、当然だろう。

国と、私たちについても同じではないか?

年金問題に見る、国のいい加減さに怒り心頭に達した方もおられるだろう。

また、めまぐるしく変わる税制に「またかよ!」とこれまたトサカにくる。

国家は個人の集合体で、個人の福祉を考え、ケアするのは国家としての責務であろ

う。しかし、我々は、それに「ぶらさがり」するだけではいけないように思う。

我々は、個、個人が自らの、人生に責任をもち、自力で生活していかなければ

いけないと思う。国家は国家で、国民が幸せに生きていけるようにしていかなければ

いけない。「老後の生活はどーするんだ!」「ゆとりある生活の実現に取り組め!」

は、自らの、努力と共にあるべきだろう。

立場の違いというものである。


最近、気づいたのですが、右派の方で、環境対策について語っておられる方を

ご存知ありませんか?21世紀の環境対策は待ったなしだと聞きましたが・・。

ご存知の方、お教えください。勉強します。

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