本日18日付けの沖縄タイムスのコラム大弦小弦を紹介します。

 

  素人には優雅な手の動きに・・・

 

 素人には、優雅な手の動きに見えないこともなかったのだが…。マンデラさんの追悼式の手話通訳に非難が集まっている

▼人種融和を説いた巨人を悼む場ででたらめを見せられた、ろう者の怒りはごもっとも。「障がい者を侮辱している」との声も出た。一方、日本のろう者は彼らの言語である手話を侮辱された歴史を持つ

▼「手話札」というものがあったことを知った。昭和の初め、唇の形を読んで声で会話する口話を覚えさせるためだった。まるで方言札のように手話を使った者を罰したのだ。手を縛られた例もある

▼そこには、耳が聞こえない者を下に見る態度があった。聴者(耳が聞こえる人)で文化人類学者の亀井伸孝さんは、著書『手話の世界を訪ねよう』で「口話法をよかれと思って推進するのは、いつも耳が聞こえる教育者や親たちだということです」と指摘する

▼善意から長年、受け継がれた文化を否定されたのではたまらない。戦後、手話の復権が進んだが、日本では世界に遅れ、公用語としての地位が確立されていないという

▼手話通訳者の金城美保恵さんは「聞こえないことはマイナスじゃない」と話した。手話劇に映画に落語。音のない世界で笑って泣いて、豊かな人生を育む人たちがいる。亀井さんの言う「ご近所にある異文化」に目を向けたい。(具志堅学)

 


 

 

  ん~~、納得いかない。全然納得いかない。

 

 >▼「手話札」というものがあったことを知った。昭和の初め、唇の形を読んで声で会話する口話を覚えさせるためだった。まるで方言札のように手話を使った者を罰したのだ。手を縛られた例もある

▼そこには、耳が聞こえない者を下に見る態度があった。

 

  :見下しているのなら、口話など教えず、手も縛らず、「どーぞご自由に」となるんじゃねーのかな?縁側は全然納得いかない。

 

 縁側の友人には、耳の聞こえない者が多い。はっきり言うと対話のときに手話など知らないから、大口開けてゆっくり話す。そんな友人の中でもこのコラムでいうところの口話、いわゆる読唇術だな。これができる耳の聞こえない友人との対話は楽だ。それははっきり楽だよ。細かい会話もできるし、この男がすごいのは方言と標準語を交ぜての対話も読唇術できること。だから余計な気を使わず対話も会話もできる。このコラム書いてるボケは全然世間を知らずに偉そうに、情緒たっぷりに適当に書いとけばお給料もらえる。おい具志堅!口話できない耳の聞こえない者と友人として付き合い、飲みに行って楽しく会話したことあるんか?大ボケ野郎!俺の知ってる耳の聞こえない連中は日常生活では絶対に手話なんかしねーよ。聞こえない者同士でだって手話は使わない。何を見てこんなコラム書いてるんだ?バカ野郎!

 

 >聴者(耳が聞こえる人)で文化人類学者の亀井伸孝さんは、著書『手話の世界を訪ねよう』で「口話法をよかれと思って推進するのは、いつも耳が聞こえる教育者や親たちだということです」と指摘する

 

 :そんなもん当たり前じゃねーか!何考えてこんなコラム書きやがる。せめて健常者との交流において、不自由なくコミュニケーションがとれるように、との愛情からだろが。手話できねぇ者は無視していーのか?口話批判して何がしたい?おめーの物言いに耳の聞こえない者が共感するとは思えん。少なくとも縁側のまわりにいる耳の聞こえない者らは健常者と同じ扱いを希望してるし、口話できる者はできない者より例えば仕事上の会議や段取りを話し合う場合、大いにその力を発揮している。

 

 >▼善意から長年、受け継がれた文化を否定されたのではたまらない。戦後、手話の復権が進んだが、日本では世界に遅れ、公用語としての地位が確立されていないという

 

 :おめーが先頭に立ってやれや。口話よりいいならその普及に尽力しろよ。ちなみに言うと、外国の手話と日本の手話では通じないらしい。

 

 >▼手話通訳者の金城美保恵さんは「聞こえないことはマイナスじゃない」と話した。

 

 :その人が言ってるのは、聞こえないことで、ネガティブになる耳の聞こえない人に対してのメッセージだろう。生きていくからには、それをマイナスだと考えないように頑張って!という意味合いでしょう。

 

 >手話劇に映画に落語。音のない世界で笑って泣いて、豊かな人生を育む人たちがいる。亀井さんの言う「ご近所にある異文化」に目を向けたい。(具志堅学)

 

 :ホントに目を向けるか?だったらこのブログにコメントよこせ!俺の友人を多数紹介するぞ!口話できる者は縁側の友人では1人しかいないがキミはその「異文化」に興味があるのだろう。誰でもいいからこの具志堅にこのブログへコメントさせてくれ。たくさん紹介する。