突然でなんだが、縁側は琉球新報や沖縄タイムスが好きです。好きというより感謝している。これだけ縁側と価値観や思想の違う媒体が身近にあるというのはひじょに嬉しいものであります。

 

  縁側は美人の女性が好きです。「かわいい」のもいい(T_T)/~~~

 

  前にも言ったが、北川景子のファンだ。悪いか?悪くねーよな?あの唇がたまらない(-_-;)

 

  なぜ美人は好かれるのか・・、ブスがいるからだろう。そして「私は普通」と勘違いしてる多くの女性が存在しているから。

 

 例えば、安藤百福氏は毎日カップラーメンを食べていたのか?・・・・それはあり得ない。金はあるはずだからきっと高級なウマいものをたらふく食していたはずだな。

 

 ヤクルトの社長や幹部は、ヤクルトで健康になったから高級酒は飲まないか?・・・それもあり得ない。

 

 日清という会社がカップヌードルを売って利益を上げるわけだが、ランチに5千円かける人々はそれを食さない。貧乏人御用達ということだ。つまり日清は安定的に貧乏な連中が存在することが会社存続のカギとなるわけ。

 

 美人だってそう。みんなが韓国行って整形したら困る。ブスには安定的に存在し、身近にいてもらわなきゃ困るんだよ。

 

 「自分は金持ちだ!」と意識するとき、実は貧乏人を意識している。「あいつらに比べて俺は優れてる」と思うわけ。

 

 よーするにだ、相反するものって、実は自分にとってなくてはならないものである可能性が極めて高いということね。

 

 琉球新報を読んで納得いかない俺って保守なのか・・。そうだ、俺は保守陣営なんだ・・・、そう思うわけ。(実はそーでなくてもね)(T_T)/~~~

 

 なにがいいたいのか・・というと、多くの食えない貧乏人がいて、少数の金持ちがいる社会は長くもたない、ということ。格差があるのは当たり前だ!と保守層から聞こえてくるが、それは、安定的に食える貧乏人が存在する社会を想定してのこと。

 

 三食食える貧乏人が安定している場合には確かに保守層のいうところの格差はあってもいいと縁側は思う。政治家が表明するのはけしからんがな。しかしだ、今日は食えたけど、明日はどーなるか・・・という不安定な貧乏人が増殖する社会はよくない。これは金持ちにとってもよくない。相反するものらは、安定的に存在してもらわなきゃ困るんだよ、お互いに。

 

 貧乏人がカップラーメンも買えなくなると日清は困るんだ。縁側みたく「俺は貧乏じゃねぇ!」と見得張って「ヤクルト400」配達してもらうことで中流を装ったつもりの醜いアヒルの子もいる(T_T)/~~~

 

 先日、沖縄の貧困率が3割で全国トップだと報道された。自分はその3割に入ってないから・・・・と高をくくって無視してはいけない。7割の側が安定的に7割でいられるためには、3割の貧乏人が安定的に三食食える貧乏でなければならないんだ。それがあってはじめて「健全な格差」といえるし、日清もヤクルトも安泰ということ。

 

 自らの立ち位置をよ~く自覚して、猫マンマでも5千円のランチでもいいから、国民全体が三食食えることを大前提とすることを、どの位置にいても意識することは民主主義なんてクソを将来蹴散らすために必要だと思う。