今日は「竹島の日」です。島根県が条例制定し、この日になった。
 
 今回の竹島の日式典には、政府から島尻安伊子内閣府政務官が出席し、竹島が国家主権の範囲内であることを明確に内外に主張した格好だ。
 
 これに対して韓国側はなんと言っているかといえば、韓国外交通商省報道官が、
 
 「非常に遺憾。」 「強力に抗議」 「竹島の日条例及び竹島領有権主張の撤廃」 などと言ってるみたい。
 
 遺憾だ、抗議だはいい。だけど、撤廃というのはいただけない。どこかの県のノータリンらも似たようなこと(教科書検定意見の撤回)を叫んでいるが、この撤廃や撤回という言葉は使っていい場合とダメな場合があるのだよ。
 
 撤廃や撤回という言葉を使っていい場合というのは、それが、誰の目にも誰の心にも誰の史観からも誰の常識からも「正しい」と認識されていることに対してそれを否定する意見や主張に対して。例えば、歴史家が「伊藤博文は飛騨山中でまだ生きている」とマスコミに発表したら誰も信じない。伊藤の子孫が「撤回しろ!」といえば、そうしなければ収まりがつかなくなる。
 
 では沖縄の「教科書検定意見の撤回」を求めるのはどうか?
 
 検定意見がついたのは、集団自決が旧日本軍の強制によるものとする有力な証拠、証言がなく、また近年の研究家の中にはそれについて疑義を抱く者がいて「日本軍の強制と断定できない」ところまで史実の検証がなされたことによる。つまり、(集団自決が日本軍の強制によるということが)「誰の目にも明らか」でないことだから、それは意見・主張として言ってよいのです。それについて「撤回せよ!」などと叫ぶ連中は極めて常識のない下衆ということ。単純明快だな。
 
 「竹島は日本の領土」という主張は韓国側には受け入れ難いことなのだろう。しかし、国際社会の中では、「どっちの主張が正しいのかわからない」のであるから、どちらも主張することに問題はないし、それを撤廃や撤回せよ!などと言われる筋合いはない。これ国際常識!
 
さらに、国家主権の観点から言えば 「竹島の日」条例というのは、島根県議会が決めた。ということは、日本国民たる島根県民が決めたってこと。他国の主権を侵害してはならないってことは国際社会の常識。韓国側がいくら竹島の領有権は韓国にあると主張しようが、だからって他国の条例を「撤廃せよ!」、「日本は竹島の領有権主張を撤廃せよ!」などとは、マトモな近代国家なら絶対に言わないし、言ってはならない。つまり韓国は国家主権についての常識が備わってない「イタい国」ということになるのね。
 
 実は、これ民主主義の肝みたいなもんなの。他者の意見や主張を尊重しなければならないってことはさ。
尊重とは「その意見や主張に従う」とは違う。他者の意見や主張はあくまで他者が責任を持って勝手に言っていいですよ、それはそれで貴方の意見ですからどうぞご自由に、ということ。
「撤回せよ!」は、簡単に使っちゃいけないってことだよ。民主主義国家の政府なら尚更な。
 
 ちなみに縁側の前世が英国貴族(ちなみにデューク)だったという主張に対し、「その主張を撤回せよ!」なんて輩がいたら、
 
       
          撃つよ!(T_T)/~~~
 
 
  追記:
      上記文中の”尊重とは「その意見や主張に従う」とは違う。他者の意見や主張はあくまで他者が責任を持って勝手に言っていいですよ、それはそれで貴方の意見ですからどうぞご自由に、ということ。”
 
 を受けて、「撤回せよ!」を叫ぶのも自由だろ!なんて言い出すアホが必ずいるので、記しておく。そんなこと言ったらやっぱり
 
 
           撃つよ!