私のところには今、受験生がいる。そこで、担任の先生と進路について話し合うのだが、その基準となるのが、内申点。もちろん、学力も考慮しながらではあるのだが、なんでも、沖縄県内の県立高校は、ほとんどで内申点50、受験本番での点数50ということになっているらしい。全国的にはどうなのか知らないが、これはどういうことなのか・・。
例えば、県内で進学校として有名なある高校でようやく内申点40、当日の試験60であるという。その他はほぼ50:50ということらしい。
ならば、その内申点の内容はというと、これがまたこまかく数値化されたものを積み上げていく方式なんだな。教科ごとに。
例えば、国語。私が愕然としたのが、「校内図書室の利用状況」。(T_T)/~~~
つまり、校内の図書室で本を借りた冊数が多い子は内申点が高くなり、借りてない子は低くなるというのだ。これは国語教科の先生に直接聞いたので間違いない。
さらに国語では「読み解く力」や「発言力」という項目もある。呆れて物も言えないのだが、「読み解く力」は定期考査で十分だろう。それとは別になぜ教師の主観を入れなければならない?「定期考査では高得点だが、私の教師としての勘ではこの子は読み解く力が足りない」とでも言うのか。また、「発言力」も差別以外の何物でもない。物怖じせずに正誤関係なく発言する子はいる。が、逆に、正答を導き出しても控えめに発言を控える子もいる。これが「国語」の成績に影響するという。なぜだ?
体育などでは、「率先して活動できる」とかもある。どういう意味だ?理科では、実験などでの「協調性」も求められている(T_T)/~~~。
どうにか数学は、数学だけは、ほぼ「定期考査」の点数での評価になっている。しかし、それとて「授業中の態度」という教師の絶対的主観から逃れることはできない。
言いたいことは、「教員は忙しい」という言い訳で、学校内での様々な問題に対応できずにいて、教員増を叫び、待遇改善を要求する日教組のような団体がいる中で、日々の経過観察が必要な評価項目を見直す話が聞こえてこないのはどういうことだ?その評価項目を40人のクラス全員、教科専門の教師なら数百人にもなるのだが、一人ひとり評価できるのか?できるわけがない。日々の「授業態度」を把握するのは無理だろーよ。しかし教組はそこには触れないのだよ。なぜか・・。
実は、そこが彼ら教員にとっての「生命線」でもあるからだ。教師も教組もそれに関しては恐らく一致した見解ではないだろうか。つまり、教師が教師としてあるための「安全保障」なんだな。
例えば私立の教師の勤務評価はというと、これはもうはっきりしている。合格率や、難関校への合格などであり、塾も同じ。それ以外のことに親は関心がない。
では公立の教師の勤務評価はというと、これがわからない。一説には「組合関係者との付き合い」と「教育委員会との付き合い」が上手いかどうかというものもあるらしい。また、部活動の指導で県大会や全国大会へ生徒を導いたというのもある。沖縄では体育教師が校長になるスピードが早いと言われているが、頷ける話だ。
公立の中学校の教師にとって、内申書というのは諸権利を守るための必須アイテムということ。それを盾にしてどうにかこうにか「教師」としての面目を保っている。公立高校を目指す生徒の中には、評価対象者としての自分を「創り上げる」子もいるらしい。進学先が私立で調査書や内申書のいらないところを希望してる子は、教師の「お眼がね」など気にせず、子供らしくいられるわけだ。だから左翼教師は「私立」を憎む。そして私立との学力差を教師の差ではなく親の差とみなして逃げる。教組の連中の思考とはそのようなもんだ。
「管理教育」を教組は嫌う。しかし彼らのいう管理教育とは、「国家行政の教育に対する不当な介入」を指す。そして自らは、子供たちに対して教師に都合の良い子を高評価する「管理教育」を徹底させてきたし、これからもそうするのだろう(T_T)/~~~
まだまだ未熟な子供を内申という獣じみた書類で仕分けして、可能性の芽を摘むことに何の意味もない。むしろ徹底的に当日のペーパーテストを重視して、その内容を改善していけばいいのだ。教師が教師の諸権利を守るための内申書で子供の進路を左右される危険は排除しなければならない。とするなら、免許更新制度もいいが、最も重要な現場での「授業中」の問題に目を向ける必要があるだろう。
過日の中国漁船事件に対応した官僚や政府の連中も「内申点」と向き合い「いい子」を演じていたのかもしれん。そんな子が将来、外交で他国の「内申と関係なく育ってきた愛国者」と対峙できるはずはない。また、大阪地検の検事も「いい子」だったのだろう。ミスは「先生に叱られる」→「評価が下がる」→「もうだめだ_(._.)_」なのかな(T_T)/~~~
例えば、県内で進学校として有名なある高校でようやく内申点40、当日の試験60であるという。その他はほぼ50:50ということらしい。
ならば、その内申点の内容はというと、これがまたこまかく数値化されたものを積み上げていく方式なんだな。教科ごとに。
例えば、国語。私が愕然としたのが、「校内図書室の利用状況」。(T_T)/~~~
つまり、校内の図書室で本を借りた冊数が多い子は内申点が高くなり、借りてない子は低くなるというのだ。これは国語教科の先生に直接聞いたので間違いない。
さらに国語では「読み解く力」や「発言力」という項目もある。呆れて物も言えないのだが、「読み解く力」は定期考査で十分だろう。それとは別になぜ教師の主観を入れなければならない?「定期考査では高得点だが、私の教師としての勘ではこの子は読み解く力が足りない」とでも言うのか。また、「発言力」も差別以外の何物でもない。物怖じせずに正誤関係なく発言する子はいる。が、逆に、正答を導き出しても控えめに発言を控える子もいる。これが「国語」の成績に影響するという。なぜだ?
体育などでは、「率先して活動できる」とかもある。どういう意味だ?理科では、実験などでの「協調性」も求められている(T_T)/~~~。
どうにか数学は、数学だけは、ほぼ「定期考査」の点数での評価になっている。しかし、それとて「授業中の態度」という教師の絶対的主観から逃れることはできない。
言いたいことは、「教員は忙しい」という言い訳で、学校内での様々な問題に対応できずにいて、教員増を叫び、待遇改善を要求する日教組のような団体がいる中で、日々の経過観察が必要な評価項目を見直す話が聞こえてこないのはどういうことだ?その評価項目を40人のクラス全員、教科専門の教師なら数百人にもなるのだが、一人ひとり評価できるのか?できるわけがない。日々の「授業態度」を把握するのは無理だろーよ。しかし教組はそこには触れないのだよ。なぜか・・。
実は、そこが彼ら教員にとっての「生命線」でもあるからだ。教師も教組もそれに関しては恐らく一致した見解ではないだろうか。つまり、教師が教師としてあるための「安全保障」なんだな。
例えば私立の教師の勤務評価はというと、これはもうはっきりしている。合格率や、難関校への合格などであり、塾も同じ。それ以外のことに親は関心がない。
では公立の教師の勤務評価はというと、これがわからない。一説には「組合関係者との付き合い」と「教育委員会との付き合い」が上手いかどうかというものもあるらしい。また、部活動の指導で県大会や全国大会へ生徒を導いたというのもある。沖縄では体育教師が校長になるスピードが早いと言われているが、頷ける話だ。
公立の中学校の教師にとって、内申書というのは諸権利を守るための必須アイテムということ。それを盾にしてどうにかこうにか「教師」としての面目を保っている。公立高校を目指す生徒の中には、評価対象者としての自分を「創り上げる」子もいるらしい。進学先が私立で調査書や内申書のいらないところを希望してる子は、教師の「お眼がね」など気にせず、子供らしくいられるわけだ。だから左翼教師は「私立」を憎む。そして私立との学力差を教師の差ではなく親の差とみなして逃げる。教組の連中の思考とはそのようなもんだ。
「管理教育」を教組は嫌う。しかし彼らのいう管理教育とは、「国家行政の教育に対する不当な介入」を指す。そして自らは、子供たちに対して教師に都合の良い子を高評価する「管理教育」を徹底させてきたし、これからもそうするのだろう(T_T)/~~~
まだまだ未熟な子供を内申という獣じみた書類で仕分けして、可能性の芽を摘むことに何の意味もない。むしろ徹底的に当日のペーパーテストを重視して、その内容を改善していけばいいのだ。教師が教師の諸権利を守るための内申書で子供の進路を左右される危険は排除しなければならない。とするなら、免許更新制度もいいが、最も重要な現場での「授業中」の問題に目を向ける必要があるだろう。
過日の中国漁船事件に対応した官僚や政府の連中も「内申点」と向き合い「いい子」を演じていたのかもしれん。そんな子が将来、外交で他国の「内申と関係なく育ってきた愛国者」と対峙できるはずはない。また、大阪地検の検事も「いい子」だったのだろう。ミスは「先生に叱られる」→「評価が下がる」→「もうだめだ_(._.)_」なのかな(T_T)/~~~
コメント
コメント一覧 (2)
「10C」と言う、珍しい評価でした。
当時の大阪(約40年前)でも、50:50でしたので、
高校入試は、名前が書ければ通る状態でしたが、勿論、答えも書きました。
で、入試の結果は、同点数で私と、もう一人、「10A」だった女子が最高点、
故に、入学の新入生代表は、その子になりました。
・・・妥当な評価でしたね(わら
>RAMは、内申書で、教科点は10段階の10、態度面は3段階の最低、
>「10C」と言う、珍しい評価でした。
:う~ん、{10C}ですか。こんな有能な方に対して「C」とは制度が悪いのでしょう(~_~)
>当時の大阪(約40年前)でも、50:50でしたので、
>高校入試は、名前が書ければ通る状態でしたが、勿論、答えも書きました。
>で、入試の結果は、同点数で私と、もう一人、「10A」だった女子が最高点、
>故に、入学の新入生代表は、その子になりました。
:すごっ!学を志すのが15歳というのは正しいようですね(~_~)
>・・・妥当な評価でしたね(わら
:いやいや「C」には「C」の味がありますからねー。子供らしくスカートめくりしたり、喧嘩したり、エロ本隠れて読んだりというのが無くなると大人になってからこわいですし・・・。「C」で良し!といったとこだと思います。わが子には言いませんが内心は「先生に褒められてるようじゃ、まだまだだ!」と思ってるんですよねー、最近の教師を見ていて・・。