今朝の琉球新報のコラム「金口木舌」を読んで少し違和感を感じたのでエントリーする。
 
新聞のコラムというのは、書き手の日常感じている事柄や、読んだ書物などから政治・経済・教育・行政など多岐に渡って言及・評論する内容の記事である。字数がそう多くなく、小難しい言葉の羅列である「社説」と違い比較的簡易な言葉を用いている。私にとっては読みやすいということもあり、一等最初に読んでいる。
 
この社説とは趣を異にするコラム。なんでもかんでも書き手の自由というわけではない。社説と同じく、社風というか社論と真っ向から対立する意見は書かない。いや書けないと言ったほうがよいだろう。よって、意見の対立する者や事象などには社説ほどではないにしろ、やんわり批判的な記事になる。そこで今朝のコラム。
 
琉球新報 金口木舌より引用
 
 沖縄戦は激烈な地上戦として知られるが海も戦場だった。日本の若者3千人が航空機による特攻で戦死、米軍は沖縄戦の戦死者の4割を洋上で失った。近海では輸送船が沈められ疎開学童や多くの民間人が犠牲になった。
 県公文書館で「海の沖縄戦」をテーマにした企画展が開かれている。米海軍資料から知られざる海の戦争の実態が浮かび上がる。
 米軍は南西諸島海域を「”丸”の死体置き場(Maru Morgue)」と呼んだ。日本の船舶に「ー丸」という名が付いていたからだ。米潜水艦はオオカミのように群れをなし、この海域を航行する船舶を次々と狙った。
 ところで、日米が双方を仮想敵国としたのは日露戦争直後のことだ。司馬遼太郎さんの小説「坂の上の雲」に登場する海軍参謀秋山真之は、米海軍戦略家アルフレッド・T・マハンの薫陶を受けてロシア艦隊を破り日本の海軍力を世界に示した。一方、フィリピン、グアムを奪い太平洋に進出した米国は、いずれマハンの教え子たちとの激突を予想したわけだ。
 そして双方の戦争計画は南西諸島近海が決定的な海戦場になると想定した。司馬さんが描いた若き明治国家は琉球、朝鮮を版図に組み込み帝国主義の道を歩む。
 昭和になって日米開戦は現実になった。最終局面で民間人を含む多大な犠牲を払った「海の沖縄戦」があったことを忘れてはならない。(引用おわり)
 
 沖縄戦は地上戦だけではない、海戦もあり、多くの犠牲者を出したんだ、ということを記しているのだが、まぁ、なんてことはないフツーのコラムではある。
 
私は、「坂の上の雲」を読んだことはない。ないが、わざわざ黒字にした部分に琉球新報の社論と臭いが違うように感じる。司馬の「坂の上の雲」の引用なのだが、コラムで引用する場合、その書物に対して肯定的に見ているケースが多いと思うのだが、そうであるならば、黒字部分は社論と明らかに異なった見方である。
 
琉球新報の沖縄戦に関する見方といえば「日本軍の存在が沖縄戦を引き起こした」である。米国から見た大陸進出への要所としての沖縄・南西諸島という視点は排除し、帝国日本の「捨て石としての沖縄」をこの数十年喧伝してきたはずだ。その「社論」からすれば、
 
 >フィリピン、グアムを奪い太平洋に進出した米国は、いずれマハンの教え子たちとの激突を予想したわけだ。
 そして双方の戦争計画は南西諸島近海が決定的な海戦場になると想定した。
 
という件は、明らかに異論である。もちろん司馬の史観であるということなのだろうが、上述したように、コラムは新聞社の社論に沿ったカタチで記される。このような日米開戦は歴史的宿命であったかのような言説が、司馬の書物に基づくものだとするならば、その「司馬史観」を否定的に捉えることもせず、日本軍の悪行を探し出して追及することもせず、ただ「海の沖縄戦」もあったんだ、というのは、琉球新報らしくない。きっとこのコラムニスト氏は、上司に大目玉くらったのではないだろうか。「なぜ、日本軍の悪行も織り交ぜて書かない!」なんて感じで・・(T_T)/~~~
 
だって、これ読んだ中学生や高校生が、ともすると「沖縄戦って宿命的というか運命的な戦いだったんだね」なんて解したらそりゃあ都合悪いでしょうに。オタクらには。ねぇ。