日本兵が「死になさい」
 
 「ここで死になさいね」。山城功さん=当時(12)=の義理の伯母ヨシさんは1945年3月25日夜、座間味島の軍本部の壕内で、少尉から手榴弾を渡された。「使い方が分からないなら輪になりなさい。自分がやるから、心配ないから」とヨシさんや山城さん、姉の千代枝さん=当時(15)、功さんのいとこに指示した。「その中心に手榴弾を放るつもりだったんだろう」。しかし、猛烈に抵抗する千代枝さんの姿を見たヨシさんは、少尉に頼み込み、手榴弾を返した。「姉が必死に抵抗していなかったら、あそこで死んでいたかもしれない」。山城さん(76)は振り返り、宙を見つめる。
 山城さんの妻、美枝子さん(68)は沖縄戦当時、座間味村の助役だった宮里盛秀さんの次女だ。夫婦とも同村出身だが、結婚以来、戦争当時の村の状況が話題に上ることはなかった。「あれだけの人数を巻きこんだ集団自決があった村の、助役だった父の立場もあり言葉が出なかった」(美枝子さん)
 変わったのは、教科書検定問題を知ってからだ。「何があったか現実をしっかり見てもらい、戦争がどういうものか考えてほしい」。思いを強くし、夫婦間で話すようになり聞き取りにも応じるようになった。
 座間味・渡嘉敷両島で起きた「集団自決」(強制集団死)をめぐり、両島に駐留していた日本軍の戦隊長が住民に自決を命じたとの本の記述は誤りだとして、元戦隊長らが提訴した大江・岩波訴訟。原告側は、父の盛秀さんが「自決命令」を出したと主張していたが、一審でも控訴審でも訴えは棄却された。「訴訟も教科書検定問題も同じ問題だ。現実に何があったかをきちんと残さないと、同じことが繰り返されてしまう」と危機感を強くする。
 「沖縄戦で何があったかを子や孫に知ってもらうためにも、教科書の記述は回復されるべきだ」。美枝子さんは29日の県民集会に思いを託した。(おわり)
 
 
いや~、ひさしぶりにはっきり恣意的な記事を掲載しましたな。まず大見出し。
 
日本兵が「死になさい」
 
記事の中味を読むと、その少尉は優しい立派な軍人だったんだろーなー、ってことがだいたい読める。読解力が小学生程度あればの話ではあるが・・。
 
私は現場にいなかったが(当たり前だな)、この記事から読み解くとだ、その伯母の方は甥っ子や姪っ子らを連れて自暴自棄というか、パニクってたのでしょう。それを日本軍の少尉が「心配ないから」と諭すように落ち着かせていたのでしょうよ。でもね、これ県内の二紙がいうところの「強制」でもなければ、大見出しのイメージともかなり乖離してるぞ。その証拠に
 
少尉に頼み込み、手榴弾を返した。
 
 ってあるわけで、「死なせて」と願ったのは伯母であり、山城氏の姉が猛烈に抵抗した相手は伯母でしょうね。その少尉は「楽にしてあげよう」という仏心から手榴弾を渡したと推察できる。
 
それにつけても琉球新報のこの記事の悪質さはここにある。
 
原告側は、父の盛秀さんが「自決命令」を出したと主張していたが、一審でも控訴審でも訴えは棄却された。
 
 この訴訟はなにも助役と戦隊長が自決命令をどっちが出したを争っているわけじゃねぇ。あくまで、嘘つきでいい加減な作家と、出版社に対して、名誉を毀損されたとして出版差し止めを求めている裁判ですね。しかし、この問題に詳しい者は極めて少数であり、この記事をそのまんまフツーに読むと、あきらかに戦隊長側が、裁判で自らの自決命令を否定できなかったような印象操作が行われている。いやらしいね、まったく。
 
あんまりアタマにきたので、琉球新報の社会部に電話で抗議した。(ホントは暇だったからなのですが)
「部内に貴方様からの電話があったことは報告します」だとさ。
 
それにしても、この記事中の美枝子さんという女性、宮里盛秀助役の次女とのことだけど、3月25日の夜に産業組合壕で助役一家は自決したはずなのだが、家族の中に助かった人もいたんですね。しかし、辛いこともあったと思うよ。座間味の人から聞いた話では、彼の墓に唾を吐きかける人もいたとのこと。集団自決の首謀者として報道されたこともあったみたいですし・・。その娘ですからね。いやなことも多々あったはずだよ。それはこの言葉に集約されている。
 
>。「あれだけの人数を巻きこんだ集団自決があった村の、助役だった父の立場もあり言葉が出なかった」(美枝子さん)
 
多くの人々の人生を狂わせる戦争。平和な日々はホントありがたいよ。