間を空けてしまいごめんなさい。最終回です。
 
検証「集団自決」 ジェンダーの視点から
 
「玉砕」命令は、日本軍からもたらされたものだった。その結果、駐留する日本軍に最も隷属し、住民と軍をつないだ村の幹部や学校長ら指導者層は、住民を「死」へ誘導するメッセンジャーの役割を果たすとともに、率先して「軍命」を履行した。もちろん、座間味島の頂点に位置する日本軍の守備隊長(戦隊長)が自決することはなかった。
 こうした階層秩序による「力」の作用は、女性、子どもに大きな犠牲をもたらした。とりわけ、父親と子どもの関係は痛ましい。
 Bの防空壕では、先に子どもを死なせた男性が、「子どもたちに父ちゃんも一緒だと約束したから、自分も死なせてくれ」と「自決」の幇助を頼んだ事例、Dで亡くなった男性は「死」を決して忠魂碑に向かう前、子供たちを抱きかかえて「お父さんも一緒だから恐くないよ」と言い含め、Fの壕では男児が叔父に手をかけられる直前、「お父さんの所に行く」と防衛隊に参加している父親を求めて泣き叫んでいたこと、Hの壕では父親に首を切られた11歳の男児が、息を引き取りながら「お父さん」と最期の言葉を発したなど、「死」を理解できない子どもたちに、「父親が一緒だから」と説得したという証言は多い。
 その底流には,「強い父親」と子どもの信頼関係、そして家族間の主従関係が横たわっていた。
 「敵の手にかかるよりは自分の手で」と、家族を守らんとする家父長制下の父親役割と子どもたちのこうした規範が、戦時下ではかくも残酷に国家権力に利用されたのである。
 
 私は、これまであえて「集団自決」という用語で、座間味島で起きた戦時下の事件について書いてきた。1970年代に聞き取り調査をはじめた当初は、住民の証言は「玉砕」だった。ところが、1953年3月28日付の渡嘉敷村遺族会が出した「慶良間列島渡嘉敷島の戦闘概要」では、すでに、玉砕、自決、集団自決の表記がなされており、また座間味村役場の文書である「座間味戦記」でも、同様に玉砕と自決が入り交じっている。
 はじめて「集団自決」の用語が使われたのは、沖縄タイムス社の「鉄の暴風」(1950年)といわれるが、なぜ住民証言の「玉砕」ではなく、「自決」を使用したのか、「集団自決」を造語したという太田良博氏からその説明はなかったと思う。
 「集団自決」の証言者は、ほとんどが「玉砕」を使用する女性たちだった。その証言を公文書に記録したのは、戦後復員してきた男性たちである。昭和18年のアッツ島における日本軍全滅を糊塗するため、大本営が国民向けに使いだした「玉砕」という軍隊用語を、それまで関係ないと思っていた座間味島の住民も、米軍上陸前夜の昭和20年3月25日夜から、自分自身にふりかかった「死の強要」として受けとめるようになった。ただ、住民の表現する「玉砕」という用語は、自分自身では死ねないので「みんなと一緒に」という、表象的で受動的な意味合いが強い。
 それに対して、「自決」は、武士道の「ハラキリ思想」に通じる。「男らしさ」を象徴するこの武士道こそ、男性には、敵への投降が許されず軍の命令に忠実であることが求められたものだった。したがって、軍隊を経験した座間味・渡嘉敷島の男性たちが、女性たちの「玉砕」証言を記録する際、軍隊の価値観で「自決」「集団自決」と記したことが考えられる。
 新渡戸稲造は、その著書「武士道」において、「女子の武器に頼りて其貞潔(貞操)を守るに切なるは、男子の其君主を護るに似たり」といい、女性が貞操を守ることは命にも勝ると説いた。武士道の論理でいえば、「慰安婦」とは違う「淑女」としての女性たちは、敵に捕まり強姦されると、共同体社会の中で生きていくこと自体許されなかったのである。
 こうしたジェンダー役割に規定され、国家の犠牲にされた住民の体験の記憶は、証言する過程において「玉砕」、後に「集団自決」という用語で表現され、それを私たちは記録してきた。しかしながら、「集団自決」という用語が、国レベルで「崇高なる犠牲的精神の発露」として美化されたり、軍人用語だから住民には使えないなど、さまざまな問題点が指摘されだした。そして「集団自決」に対する用語として、すぐれた沖縄戦研究者によって「強制集団死」という言葉の使用が提唱されている。
 
 それでも私が「集団自決」にこだわる大きな理由は、つらい思いをこらえながら自分や親族の体験を話してくれた座間味村民の用語として敬意を払いたいことと、座間味・渡嘉敷村の近現代史に必要不可欠の用語になっているということである。ほとんどの方が故人になったが、現在でも生き残りの方々は、「集団自決」を証言する。その人たちがいま最も懸念していることは、「靖国」を賛美する人たちによって、「集団自決」の悲惨さが美化されだしたことや、援護法適用のために「集団自決」の軍命が「方便」であったとして、元戦隊長らを擁護する動きが出ていることである。
 住民の心に負った傷口をさらに鋭利な刃物でえぐるようなこうした言動があればこそ、告発の意味を含めて、弱者の視点から「集団自決」を記録し、継承することが、体験者のⅡ世、Ⅲ世、そして戦後世代の大きな役割だと思っている。(沖縄女性史家)
 
 

以上です。この女性史家へ言いたいことはコメント欄へどーぞ。
 
間を開けてすいませんでした。<(_ _)>