衆議院が九月に任期満了となる。その前に、我々が肝に銘じておかなければいけないこととは何か?
 
それは民主国家として歩んでいくのか、はたまた非民主的な国家として存続していくのか。これではないのか?なんて考える。選挙とは我々国民が政治の行方を決する唯一の手段である。もちろん、革命や暴動、暗殺という手法もあるが、合法的ではないし、人々の安全を脅かすのは必定であり、やはり選挙が最も安全で、公正であろう。
 
唯一の手段である選挙に我々は一票を投じるのであるが、ここで当落が決まり、国政の体制が確定した時点で、我々の「仕事」は終了し、お祭りの後の余韻に浸るのみであった、これまでは。
 
しかし、外交や内政、特に内政において様々な問題が先送りにされている現状を観望したとき、このまま座して破滅を待つことを望む者はよもやいまい。我々は今こそ選挙民こそが主権者であり、最高権力者であることを覚醒させ、選挙に臨む必要がある。
 
そのために、最も大事なことは、自民党を応援することでもなく、民主党に再生の願掛けをすることでもない。それは、民主主義を達成するためにどうすればよいのか?そのために我々一人ひとりに何ができるのか?を考えることではないだろうか。
 
世紀末には、自民党と旧社会党の連立政権が樹立したこともあった。政党政治を無視した暴挙であった。最近では、郵政選挙と位置づけられた先の総選挙で、300という議席を国民から信託された自民党が、郵政民営化に反対した者を呼び戻すという総選挙を形骸化させかねない野蛮な断を下した。また、現在の総理大臣は、郵政賛成派として閣僚に名を連ねたにもかかわらず、公の場で、「実は反対だった」と分裂気味の脳内を披露して見せた。それでも総理でいられる。
 
昨今の選挙では、マニフェストという聞きなれない言葉で煙に巻いているようだが、「選挙公約」のことと解釈していいと思う。その選挙公約を守らせることが、健全で、公正な民主国家の基本であると考える。
 
選挙公約とは、我々国民と政党との契約である。わが国は、資本主義を採用している。よって契約は何よりも重い。場合によっては、人命より重いこともあるかもしれない。その尊重してもすぎることのない契約を誰よりも履行していない団体が、わが国の政党である。前述した、自社さ連立が決定の報道がなされたときに、契約不履行で、当該政党本部を叩き壊すくらいが民主主義的なのだと思う。
 
民主主義が愚民主義にとって変わらないように、選挙後の監視が最も大事な我々の仕事であることを考えると、我々は、自分の財布の中や、バッグの中、クルマの中、家のリビングに投票した政党のマニフェスト(選挙公約、選挙契約といってもいい)を常備、携行するくらいの心構えが必要となろう。
 
営業成績のように結果のみが重視されるのとは違い、政党、政治家のそれは、過程と結果の両方が要求される。いや、むしろ過程のほうが重要視されるかもしれない。よって選挙契約した政党および、政治家の行動は監視しなければいけないと思う。
 
みんなでマニフェストを持ち歩きましょう。カードサイズのがあればいいですね。