「なんくるないさ」

この言葉が沖縄izmの代名詞のように扱われている。確か、山本キッドがオリン

ピックの代表選抜試合で怪我した際にもこの言葉を使っていたと記憶している。

沖縄から本土へこの言葉が紹介されたとき、意味は「なんとかなるさ!」であっ

たのでしょう、また、沖縄でもそのように理解され使用されている。

言語学者でも歴史学者でもない私だが、この「なんくるないさ」を現代沖縄人

が使用するとき強い違和感を覚える。私の解釈では(もちろん勝手な解釈だが)

「なんくるないさ」を訳すとすれば、

       「人事を尽くして天命を待つ」である。

ともすると、現代沖縄人の中には、なんくるないさを「果報は寝て俟て」と理解し

ているバカ者もいるようだ。そのあたりが学力最下位の一因なのでは?と思って

しまう。

本土の方が、癒しを求めている「オキナワ」にピッタリの言葉として、

なんとかなるさ式の「なんくるないさ」が出現しただけで、それを逆輸入的に

現代沖縄人が使用するのは厳禁であろう。

教育力、経済力で最下位を独走中の現代沖縄人は、人事を尽くして天命を待つ

式の「なんくるないさ」を使用するべきだと思うが、いかがでしょうか皆の衆。