私は、朽ち果てるという言葉が好きです。
最近の年金問題は、あまり興味がありません。確かに、国家の不祥事ですから
正さなければいけないとは思いますが、私個人としては、あまり関心ありません。
年老いても子供の世話にはならない!と豪語なさる方もおいででしょうが、それでは、
年金もいりませんよね!年金は、子供世代の人々の納める年金保険料で賄われてお
ります。ご自分の息子や娘の世話にはならないが、見ず知らずの子供と同世代の
方々の世話になるというのは変なお話です。勘違いしては困りますので、言っておきま
すが、ご自分の納めた年金保険料は前の世代の御年寄りのためのもので、自分のた
めの積立金ではありません。(今現在の話で、改正するようですが・・。)
税金と保険料を合わせてやりくりする案があるようですが、大甘な試算を見せられて
も期待できません。自分の老後は自分で責任を持つようにいまから心がけるようにしま
しょう。私は、自然に朽ち果てていきます。もちろんそれまでは、子供の世話になる
つもりです。上の人の物言いは一見、「骨のある人」のように見え、かっこいいセリフで
すが、次の世代に間違ったメッセージを送ってしまいかねません。つまり、「親が年老
いたら国や、ボランティアや、介護士が面倒を見るのが当たり前!」となったら、そりゃ
あ少子化はとまりません。「親の面倒は子供が!」は基本としなければいけません、未
来永劫。それが、先祖から親、自分、子供、孫・・と連綿と続く縦軸を守ることに繋がる
はずです。保守思想の基本はそこにあると思います。
ちなみに、私が年老いたとき子供に見棄てられたとしても、自然に朽ち果てていけばよ
いと考えます。
最近の年金問題は、あまり興味がありません。確かに、国家の不祥事ですから
正さなければいけないとは思いますが、私個人としては、あまり関心ありません。
年老いても子供の世話にはならない!と豪語なさる方もおいででしょうが、それでは、
年金もいりませんよね!年金は、子供世代の人々の納める年金保険料で賄われてお
ります。ご自分の息子や娘の世話にはならないが、見ず知らずの子供と同世代の
方々の世話になるというのは変なお話です。勘違いしては困りますので、言っておきま
すが、ご自分の納めた年金保険料は前の世代の御年寄りのためのもので、自分のた
めの積立金ではありません。(今現在の話で、改正するようですが・・。)
税金と保険料を合わせてやりくりする案があるようですが、大甘な試算を見せられて
も期待できません。自分の老後は自分で責任を持つようにいまから心がけるようにしま
しょう。私は、自然に朽ち果てていきます。もちろんそれまでは、子供の世話になる
つもりです。上の人の物言いは一見、「骨のある人」のように見え、かっこいいセリフで
すが、次の世代に間違ったメッセージを送ってしまいかねません。つまり、「親が年老
いたら国や、ボランティアや、介護士が面倒を見るのが当たり前!」となったら、そりゃ
あ少子化はとまりません。「親の面倒は子供が!」は基本としなければいけません、未
来永劫。それが、先祖から親、自分、子供、孫・・と連綿と続く縦軸を守ることに繋がる
はずです。保守思想の基本はそこにあると思います。
ちなみに、私が年老いたとき子供に見棄てられたとしても、自然に朽ち果てていけばよ
いと考えます。
コメント
コメント一覧 (1)
ご存知なら余計な解説になりますが、多分1936年生まれ。おばあちゃんっ子の大阪人で東大インド哲学科出身。プロのお坊さんより遥かに仏教の“心”を身に付けている方です。
大企業の経営者の集会で講演したあとの懇親会で、話しかけられたそうです。
「先生、今日は素晴らしいお話を有り難うございました。特に、インドの人が1年間も会社を休んで父親の面倒を見たというお話。
日本の社会福祉が如何に進んでいるかということに気付かせてもらいました。私なら、完全看護の施設に入れて働くことが出来ますから。」
これを聞いたひろ先生の、憮然たるお顔をご想像下さい。
「年老いても子供の世話にはならない」という心意気は大事なことと思いますが、それは子供が決めることであって、子供に聞こえるところでいうべきことではないでしょうね。
私も、住み慣れた畳の上で死ねれば有り難いと思ってはいますが、それがかなわない時は子育ての失敗と思って、ジタバタしない覚悟は出来ているつもりです。
本来、三世代が同居することで躾けやその他もろもろを含めた、家風というその家の文化が伝わる訳ですし、そのことが一国の文化になることですから、現在のように親子が別居することが当たり前という風潮は矢張り異常です。