生来の天邪鬼が災い?して物事を正面から見ないことが多い私ですが、確か、高

校生ぐらいの頃、定期テストの前だったと記憶しているが、先生が、「試験勉強は

夜より朝のほうがよい!早起きは三文の徳という言葉もあるくらいだ。」と、言われ

た。教師の声を子守唄代わりにしていた私だが、この言葉だけは素直に耳に入っ

た。「三文というのは今の価値でいくらぐらいなんだろう?」。子供の興味とはその

程度である。それからというもの、「三文」が、やたらと耳に飛び込んでくる。

テレビドラマを見ていても、「あの土地は二束三文で手に入れたんだ」のセリフ。

時代劇を見ていても「こんな三文芝居のどこがいいんだ?」など、「三文」はよく

耳にする言葉となった。しかしである。「早起きは三文の徳」以外に「三文」という

言葉を好意的に使っている言葉を聞かないことに気づいた。気づいてしまった。

そして私は、想像してみた。「早起きは三文の徳」と言い出した人、もしくは人々

が、どういう気持ちでこの言葉を使い始めたのかを・・。

私なりの結論として、「早起きは三文の徳」は、「無理して早起きしたってせいぜい

が、「三文」程度の価値しかないぞ!」か、「そんなむきになって早起きしたら

かえって体に悪いぞ!」というような意味だったのが時代とともにその語意が変わ

っていったのでは?との「仮説」を立ててみた。そして、周りの同級生に意見を聞い

た。「お前バカだろ!なっバカだろ!」この言葉が返ってくる。親にも聞いてみた。

「こんなバカなこと言ってるから成績が・・・」 薮蛇だった。大人になっても、職場

の同僚に話すと、あきらかにバカを見る冷たい視線が痛かった。

もともと勉強嫌いで、文献等を漁るなど、ありえない者が本気で立証してみよう、

などと思うはずがない。すっかり記憶からも消え去って歳月は流れた。

 数年前のことである。カーラジオを聞いていたら、ニュースの中で、ある国の

ある研究チームが(すいません。忘れました)、会社勤めのサラリーマンを対象に

ストレスについての追跡調査を行ったらしい。内容はというと、朝、早起きして

定時よりもかなり早く出社する人と、ギリギリまで寝て、これまた定時ギリギリ

に出社する人を比較して、どちらが多くストレスを溜め込んでいるか、という調査

だ。結果は?早起きして定時よりかなり早く出社する人のほうが、圧倒的にストレ

スを多く溜め込んでいるとのこと。運転中ではあったが、ラジオのボリュームを

いっぱいにして、食い入るように聞いていた。

「ヨッシャー!!」左コブシを強く握り、見ず知らずの外国の方に「仮説」の立証

に必要な、「必然性」を調査してもらった(タダで)ことへの感謝の気持ちでいっぱい

だった。言うまでもないが、その日から、知り合いに会うと、必ずこの話をした。

そして、現在に至っているわけだが、やはり、「三つ子の魂・・・・」。本を読むと

ページをめくるたびに勇気と忍耐を試されているようで、ストレスと睡魔が同時に

襲ってくる。そんな男が図書館や、古書店巡りなどできるはずもない。であるから、

今もって立証できずにいる。

もちろん私自身は、「仮説」ではなく「定説」と思い込んで、わが子にもそのように

教えている。(ただし、学校での使用を禁止してはいるが。)

この「仮説」について皆々様からのご高説を賜わりたく存じ上げます。


追記:バカにしないでください、打たれ弱いので。

    「バカをバカだと言う者がバカである」 は、「定説」 である。