昨日のプライムニュースに憲法学者の百地章氏と、東大井上達夫氏、東大憲法学者の石川健治氏が議論(と呼べるのか疑問だが)したのが、憲法9条問題。安倍総理が3項加憲というからめ手を言い出したことでの議論だが、縁側は、先のエントリーでも述べたが、井上達夫が嫌いだ。落ち着いたらケジメを取りに行きたいと思ってるのですが、今回の議論では、井上の完全勝利でしょう。百地は何が何でも安倍シンパの立場から、石川は何が何でも日本国憲法アンタッチャブルの立場。底が見えてるから井上に太刀打ちできない。

  縁側も、基本的には、9条完全削除がいいと思う。が、徴兵制に関しては無理。兵役の義務までが限界でしょう。もちろん、スイスのように永世中立の立場に国の立場を変えるのなら話は別。井上の議論は中立国の立場でしかなりえない。そうでなければ、無残な結果になるでしょう。つまり戦争犠牲が大きいというリスク。

 保守派も、左翼の理解を得ようと思うのなら、「永世中立」を議論の俎上に載せることはあっていい。もちろん、国会議員のレベルは無理。保守の論客がメディアで議論することが大事。永世中立のリスクが経済に波及することは避けられないので、そのあたりのリスクなどを議論してもいいと思います。

  9条削除はいいと言いましたが、縁側はもっといえば、成文法たる憲法自体不要だと思っておりますので、9条削除も本音でいえば些末な話。

  天皇の皇位継承に関しても、時代の変遷による人々の考え方に皇位が委ねられるなど論外。よって、皇室をお守りするには、不文のほうがよいと考えます。成分は国民が変えることが可能。不文(慣習・伝統)は、変えられない。なぜなら過去に戻り改革することは不可能ですからね。

  山田宏議員が素晴らしいという話もありますが、憲法は変えられます。このような議論が出ること自体が危機なのです。ですから、教育現場での御皇室の在り方を議論ではなく、押しつけるのです。こういうものだと押し付けることが最も大事なことです。この件に関しては徹底的に押し付け教育でよい。へたに学のある連中に議論させたらロクなことにならない。

  つまり、天皇は神聖にして侵すべからず、なのです。それを憲法に明記などしてはいけません。改憲の憂き目にあいます。

  例えば、我が国は「日本」という名称だと憲法に明記されてる?「にっぽん」、「にほん」どっちが正しいとか明記されてるか?ないよな。それと天皇は同じだという感性が我が国の国民教育に必要不可欠だということです。

 クソ左翼たる我が日本共産党が手を出せないようにしなければいけません。不文でいいんだ。

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 まぁ、井上達夫の評価が上がってしまったことは確かだ。でも許さんけどね(-。-)y-゜゜゜