昨日に続き、女系天皇容認を言う連中がいるので一言。

 縁側は皇統に対して無知である。そしてそれは恥ずかしいことではないと思う。無知を恥ずかしいと考えるのは庶民の生活のレベルの話。2677年も連綿と続いてこられた天皇について知識をひけらかすのは学者ならいいでしょうが、偉そうに庶民の分際で・・・なんて思うわけです。

  縁側の先輩に、昔左翼活動してた者がいる。もう60代後半になるのかな。じじぃだよ。その人が縁側にこう言った。「左翼思想は好きになれないが、理論で彼らに太刀打ちできないんだよね、それは今も」などと言っていた。まぁ、くだらない話である。理論で勝つ必要もないし、またそれは危険なことだと思いますよ。

  例えば、靖国参拝の件。中国や朝鮮が我が国の首相に「行くな!」という。それを理論で説明しようとする輩が話を難しくしながら、解決を妨げているのは明白。国内的にも「行かないほうが・・・」なんてことになる。そうではない。日本国の首相が靖国だろうがなんだろうが、国内のどの場所に行くのも他国が制限してはならないし、それに従う必要もない。要は「日本のことは日本が決める!」だけでいいんだよ。「いやそれはちょっと・・」なんてクソの話など聞く必要ないではないか。その場で首をはねたっていいくらいだ。当たり前のことをするのに難解な理論が必要なのか?ということだ。クソしてケツ拭くときに左右どちらの手を使うか理論で解決するか?どっちだっていいだろ?つまり、「てめーで決めろ!」ということだ。

  話は少しそれるが、西洋から輸入された粗悪品の決定版である「男女平等」について。男女は平等である・・・なるほど、耳によく響く言葉ではある。あるが、これほど粗悪な輸入品もないだろう。おそらくとしか言えないが、昔の日本人にとって男女の差なんて意識して生きていた者はいない。そしてそれに不満を持って生きていた者が多数を占めていた時代もないと思うぞ。

  シナ大陸の人が日本の軍人が戦争中にシナ人を殺してから煮て食べたなんてことを言い出した。日本人からすりゃ「なに言ってんだ?」となるのですよ。日本の悪事を言おうと探すが、せいぜい家の中の食い物を奪われた程度ではインパクトがないから、日本軍がシナ人を食ったことにするわけだが、日本にそのような文化はない。まぁ、もしかしたら・・があるので「一般的ではない」と言っておこう。ところがシナ人はそれ一般的なんだよ。奴らは食うんだよ。憎い者を殺して食う文化があるから、「我々だって食うんだから、日本人も食うはずだ」ということで、こんな嘘話がプロパガンダとして叫ばれるわけ。

  夫婦でも同じ。てめーが浮気してるから、相手の行動が気になる。カミさんが夜遅くなった。友人たちとの話が盛り上がることはよくある。遅く帰ったカミさんを旦那が叱責する。「フツーじゃない!」とね。でもこれ、フツーとかの問題じゃないよね。自分と同じことをしてるんじゃないか?という疑心暗鬼にかられての言葉なんだ。上のシナ人同様、自分のやってることを他者との同一性を重視した結果ということだな。

  西洋から輸入された男女平等ですが、西洋の人曰く「日本の女性は虐げられている」。
  ほんとにそうか・・。例えば武士は戦場から帰ったら父より先に母親に無事を知らせる。江戸時代の庶民は女が男を選ぶ、なんて聞いたな。ん?今と一緒か(~_~;)

  日本の女性が虐げられている、などというのは、開国して外国人が表面的なところだけを見て批判したに過ぎず、それは新渡戸稲造が「武士道」の中で論破している。新渡戸が言うには、(ちなみに新渡戸はクリスチャンであり、妻は白人女性)欧米の男女は恋愛しているとき、関係がうまくいっている時には呆れるほど愛をささやき合う。また他人に対して、妻は夫のことを、夫は妻のことをホメまくる。そのことを新渡戸は「耳障り」だと言っている。また、西洋の人々が自分のことを自分でホメるのを我々日本人からすれば「悪趣味」だと断じている。

  新渡戸が言いたいことはこういうことだ。西洋の男女は個人主義に伴う別人格。当然、権利も別々に持つ。しかし、日本人の例えば夫婦は「一心同体」であり、他人に対し我が妻をホメることは、自分をホメることと同義であり、日本では礼儀知らずとなる、ということ。だから他人には「愚妻」といい、「拙者」というのだと。

  縁側は、最近の若い連中には上の新渡戸の話をもっとわかりやすく言う。
  人間はだいたい左利きと右利きにわかれている。多くの人は使いやすい利き手を多用する。箸を持つのは利き手。鉛筆持つのも利き手。包丁持つのも利き手。その他多くのことで利き手が使われている。ではだからといって、利き手ではない方の手は無用の長物か?ということだよ。そんなことはない。両手を使って行うほうが容易いことは人類なら知っている。「おい、左手クン、キミは僕の半分も仕事してないじゃないか!、僕だけに働かせないでキミも手伝え!」なんて言うか?男女も同じだ。やれ共働きは家事半分半分だ、やれ育児も半分半分だなど実にくだらない。できる者や上手な者、時間がある者がやればいい。それだけだろ?それを「今日は私がやったから明日はあなたね」、[え~~、明日俺残業なんだけど」で喧嘩になるなど愚の骨頂。悪いけど、北欧の回し者のような屁理屈こねてる連中の多さに新渡戸も泣いていることだろうよ。働いて収入得るのが男がいいか、女がいいかなんてどーでもいいことで、どっちだっていいんだよ。左利きもいれば右利きもいる。そんだけのこと。男女差とか男女比なんてことを言い出すのはおかしいんだよ。それは、「我が国は右利きが多いのはおかしい、同数にしろ!」と、同じくらいくだらないことですよ。縁側は血液型O型ですが、なんでO型だけみんなに与えられるのに、O型はO型からだけかよ、不公平だ~!なんて言うやついないでしょ。俺にも子供産ませろ!不公平だ~!なんて言うか?テレビに出てくる粗悪な輸入品オタクの似非フェミニスト共がインチキを撒き散らかしていますが、こいつらに「ウンコしたらどの手で拭いたらいいですか?フェミニストのお立場からお答えください」と問え!!「ん~~、インドでは左は不浄だし、心臓の位置は左側?ん~~~、・・・」なんて言ったら井上尚哉の左のカウンターを入れてやれ!

  利き手とそうでない手、男と女、血液型も出産も、誰かが理論的に作ったものではありません。そういうことに決まってるのです。というのが、上述した60代の先輩への左翼思想に対する答えでしょう。ちなみに言っときますが縁側は手のない人を差別するような考えは微塵もないことを言い添えておきます。

  話がだいぶ、だいぶそれてしまいましたが、皇統に対する国民の考えなどは、基本いりません。過去に生きた人々が、知恵を絞ってどのようになされてきたのかを、重く受け止めるだけでしょう。中世ヨーロッパの「永遠の昨日」を模倣しろ、ではありません。2677年もの長い歳月で唯一不変なもの。それは偶然の産物ではない。「男系の男子でなければならない」という強い意志が連綿と紡いできた結果として現在があることを知るべきだ。女系容認論者の所氏や田中氏やよしりん真理教信者と、小林よしのりの漫画で洗脳された哀れな人々は、自分がいかに左翼的な理論武装を女系容認の為だけにしているのかを考えてみたほうがいい。2677年もの長きにわたり「女系の天皇はいなかった」ということの重みを忘れての理論武装は、三匹の子ぶたの長男ぶた次男ぶたが建てた家と同じで、ピューっと吹けば飛んでしまう。神話から続く2677年の重みとは、たかだか数十年しか生きてない現代人の理論の外にあるんだよ。だから現代を生きる我々のできることは、過去から未来に続く皇室の不変の伝統をただ次の世代にバトンタッチするだけでよいのです。たまたま今を生きているだけの日本人が革新的に変えていいはずないということだ。我々は、数珠の珠のひとつなんだと考えればわかりやすいかな。

  なんか俺も実は偉そうに言ってる小林と同じかな~?なんて反省もしたりしてます、少しm(_ _)m