多くの人はクルマを運転する。交通法規があり、皆さんがそれを守って安全で快適なドライブができる。ところが、中には初心者や高齢者など、状況判断が鈍い人もいるし、的確な判断でクルマの流れに苦も無く乗っかれる人もいる。フツーに運転できる人の中には前でトロトロ運転してるとイライラする人結構多いんじゃないでしょうか。

  イライラする人って、自分は「ダメなドライバー」だとは思っていない。上級とは思わないまでも、下手くそだとは思っていないはず。自分はちゃんと運転してるのに、前から走ってるコイツはなんてダメなドライバーなんだ、と思うわけだ。それで、あおったり、クラクション鳴らしたりする。

  ところが、もしも自分が運転技術も未熟で状況判断も鈍いダメドライバーだったとしたらどうでしょう。恐ろしくて路上に出るのを躊躇するかもしれません。「フツーに運転できる自分」がいるから、安心して路上に出れるのです。そしてフツーと自覚できるのは、自分よりも劣ってるものの存在を確認したとき。

  縁側は思います。自分が苦もなく冷静かつ安心して運転できるのは、最低レベルのドライバーではないから。よって、前でとろとろ運転の人がいても怒らないようにしています。なぜなら、「この人みたいな人がいるから自分は普通かそれ以上の技術を持つドライバーだと自覚し、安心して運転できるんだ」と思うようにしています。ほぼ聖人のような縁側にお布施をしなさい(ToT)/~~~

  身近なとこでは、フツーの顔立ちの子がブスを見て安心するのと同じ。電車の中で化粧してる女のほとんどが、「自分は並み以上」と思っていたりする。

  辺野古問題をテーマにした朝まで生テレビで、県内の起業家かな。樋口さんとかいう人が、「沖縄では最初、クラクションが鳴らないことに驚き、マナーの良いとこだと思った、しかし、それは間違いで、クラクションを鳴らさないのではなくて、鳴らせないということがわかった」ということを言ってた。どーいうことかというと、ダメなドライバーがマズイ運転をしてたら本土ではクラクションを鳴らす。そこで周りの者は「いいぞ、もっとやれ~」というふうに、マズイ運転をしてるドライバーを非難するのだが、沖縄では同じ状況でクラクションを鳴らすと、鳴らした人が非難される。というようなことを言ってたと記憶してるのだが、樋口さん、あなたも前述のことでいえば、並みか並み以上のドライバーだと自分を信じているのでしょう。でもね、沖縄VS本土の括りで言うには無理があるというのか、多くの人に失礼である。

  そもそもクラクションってむやみやたらと鳴らしたらダメだと交通法規を勉強したとき習わなかったのかね。まぁ、沖縄人の特異性をいうためのたとえ話であることはわかるけど、テレビでいうことじゃない。

  樋口さんの言を借りて縁側がいえば、例えば沖縄人は時間にルーズです。「沖縄タイム」という言葉があるくらいでそりゃ時間にルーズです。本土から転勤してきた人が、まず戸惑うのがこの時間の観念のなさ。もっとも最近では少しずつ「日本化」してきたようで、時間を守る人が増えてきたように感じる。

  それでも、まだまだのところがあるらしく、転勤してきた人たちを悩ませているらしい。

  でもね、それは「自分たちが正しい」という自信があるからお悩みになるわけでして、リスペクトしてよ~~く見てみなさいよ。例えば、飲み会で1時間遅れたからといって険悪な雰囲気になる沖縄人はいない。これは絶対いない。2時間遅刻でも怒らない。これも絶対だといえる。どーです、いいとこでしょ?(ToT)/~~~

  これから飲んで楽しもう、楽しんでるときに遅刻してきた人がいるくらいで、ビィビィ怒るのは沖縄ではカス野郎となる。飲み会の目的が「楽しむこと」なのに怒っては本末転倒で、飲み会なんてやらなきゃいい、と、沖縄人は思うわけだ。縁側はそんな沖縄が大好きです。

  もちろん、ビジネスシーンでの遅刻は許されないので、これは叱責されても仕方ない。沖縄人はこのへんの切り替えが苦手なんだよな。

  縁側は、転勤などでこちらに住み始めた人の多くから、「時間の感覚が我々とはねぇ・・・」なんてことをよ~~く聞く。そこで言って差し上げる。「ここに数年住むことになるのなら、沖縄に合わせることも大事ですから、私の言うことを聞きなさい。まず、沖縄人を待たせろ!キミが逆に遅刻していけ」という。そして、「そのとき沖縄人は絶対に怒らないよ、それを感じなさい。それが沖縄の心というやつです」と言っている。

  「遅刻した者は絶対悪であるのだから、言いたい放題怒鳴ってもいいんだ、それを周りの者も理解してくれている。」
  縁側はその理屈は、上でいったドライバーと同じだと思う。運転して安全に目的地につくということが大事なのであって、ダメドライバーを非難したことによりトラブルになるのはバカらしいと考えるのが沖縄人。せっかくの飲み会なのに怒ってもしょうがないから、遅れてきた人も楽しく飲もうぜ、というのが沖縄人。

  もちろん、キチンと運転できない者が悪いし、待ち合わせに遅刻する者が悪い。そんなことは言われなくてもわかってるんだよ。その上で赦す。お互いを赦し合う。沖縄人がもともともっている気質とはそういうものなのです。最近は変わってきたように感ずることが多々あったりするが・・・・。

  沖縄人は、自分たちの良いところを「我々のこーいうとこがいいんだ」ということを発信するチカラが足りない。

  例えば、沖縄人は飲み会がおわり、二次会にいくとき、そこが極端に近場でもタクシーに乗る。それを本土から転勤してきた人たちは奇異に感じるらしい。そこで「キミたちそれはおかしい、歩いてすぐじゃないか、歩こう」と言われてすごすごと歩くわけだ。縁側ならこういうね「せっかく一次会で一人数千円も払って盛り上がってるとこなのに、歩いて興ざめして、二次会でまたゼロからスタートでは知恵が足りない。一次会の場を出てすぐにタクシーに乗る。そこは個室だからタクシーの中で盛り上がった雰囲気を維持して二次会に突入すれば無駄がないでしょ。」とね。それが沖縄の心です(ToT)/~~~

  話を戻すと、並みか並み以上だと自覚して自信を持つのはいいのだが、並み以下の人を非難することを正当化できる心性というのは、どうも好きになれない。

  「イジメられる者にも問題がある」とはよく聞く話。これも上と似たようなことのような気がする。自分は並みの子で特別に突出してはいない。体型も顔も友人との付き合いもまぁふつう。そのように自覚できるのは、体型が他の人と著しく違う者や、顔立ちがこれまたブーの字とか、いつも一人でいるとか、そーいう人を見て安心している。残酷な先生は「二人一組ですから好きな人同士でペアをつくってください」なんていう。

  フツーでない者は浮いてしまう。それを攻撃する者らが出てくる。イジメだな。上のクラクションを鳴らすことと似てたりするのだが、攻撃してくる者らはそれを正当化してしまう。「運転下手くそだから」、「こいつデブでキモいから」。

  美人はブスに感謝しなければいけないし、運転技術が人より劣ってはいないと思ってる人は、下手なドライバーにやさしくなりましょう。それが「沖縄の心」であり、実は日本人の特徴のひとつと思う。

  それからいけば、憲法の前文で保守系の人から批判される「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という一節ですが、人々が生きていくためのすばらしいメッセージであるともとれる。