縁側の 「逆風って気持ちいい!」

 縁側です、よろしく。首里城周辺をうろついております(^^♪ 言いたい放題させていただくブログです。酒飲みで常識もへったくれもない、常軌を逸した者が綴るブログですから、ムキにならずにお読みください。 ご意見やご批判などはこちら→samy_0363@ezweb.ne.jp

 昨日に続き二日連続でエントリーするなんて何年ぶりだろう・・・。なんて気取ってみてたら昨日のエントリーにミスが・・。5月29日のコラムを30日のコラムとして紹介してたわ。ゴメンネ<m(__)m>

 ってことで今回も琉球新報のコラムを責めてみたい。今日は豪華二本立て(^^♪

 まずは、5月30日付けのコラムから。以下転載します。

  名護博物館で先日開かれた野鳥展で、ノグチゲラやヤンバルクイナの剥製を見た。生きている実物を見たいが、生息環境に影響を与えないよう我慢したい

▼ノグチゲラやヤンバルクイナは環境省のレッドリストで「絶滅危惧1A類」に指定されている。これ以上は「野生絶滅」、「絶滅」しかない。「絶滅一歩手前」と認識すべきだ
▼ヤンバルクイナが自分の体より長いヘビを捕食する様子が撮影された。たくましい姿に勇気づけられたが、危機は変わらない。ヤンバルクイナの輪禍は絶えず、2015年は37件の交通事故が確認された
▼希少動物の交通事故死を防ごうと損害保険のグループ会社がスマホアプリを開発し、提供を始めた。希少動物の出現多発地点や速度超過を音声で知らせ、運転手の注意を喚起する
▼ノグチゲラは沖縄の県鳥だ。新潟の県鳥トキは国内では03年に野生絶滅した。沖縄に生息した生物でも哺乳類のミヤココキクガシラコウモリ、鳥類のダイトウノスリなどが絶滅指定されている。人ごとではない
▼環境省は7月にも国頭、東、大宜味3村にまたがる「やんばる地域」を国立公園に指定する。希少生物の保護は県民一人一人の課題だ。まずは輪禍を防ぐこと。希少生物に思いをはせ、慎重にのんびりドライブを楽しみたい。数が増えれば見ることができるチャンスも増すのだから。(転載おわり)


   県内の野生動物、とりわけ絶滅危惧種について書いてあるようなのですが、こーいう「考えてもいない、思い悩んでもいない」ことについて、真剣に取り組んでいるフリをして物を書く人がとにかく嫌いだ。商売としてもだ。


   >▼ヤンバルクイナが自分の体より長いヘビを捕食する様子が撮影された。たくましい姿に勇気づけられたが、危機は変わらない。ヤンバルクイナの輪禍は絶えず、2015年は37件の交通事故が確認された


    :このヘビが絶滅したらどーすんだよ(T_T)/~~~。何がたくましい姿に勇気づけ・・だ、ドアホが。このヤンバルクイナとかいう鳥の出来損ないのおかげで、マングースが害獣扱いされ、捕獲されると殺処分されている。もちろん沖縄県によって。


   >▼ノグチゲラは沖縄の県鳥だ。新潟の県鳥トキは国内では03年に野生絶滅した。沖縄に生息した生物でも哺乳類のミヤココキクガシラコウモリ、鳥類のダイトウノスリなどが絶滅指定されている。人ごとではない
▼環境省は7月にも国頭、東、大宜味3村にまたがる「やんばる地域」を国立公園に指定する。希少生物の保護は県民一人一人の課題だ。まずは輪禍を防ぐこと。希少生物に思いをはせ、慎重にのんびりドライブを楽しみたい。数が増えれば見ることができるチャンスも増すのだから。


    :このコラムを書いた人を一言で評すると、どんだけバカなんだよ!となるのかな。

     野生動物を保護したいのか、やんばるをドライブしながらお手軽に絶滅危惧種を見たいのか、おい、どっちだ?ほんと、こーいうバカにコラムなんか書かせるなよ。いいかい、どーしても野生動物を保護したいのなら、やんばるなんかドライブに行くな!年間37件も交通事故が~って、てめーで書いてんじゃねーか。3行進んだら前に書いたこと忘れる人?備忘録も書けないじゃん。

  こいつは「野生の王国」視たことねーんだろーな。気楽に野生動物鑑賞なんて言える奴はね、沖縄の自然が好きで移住したはいいけど、「なんでこの辺りにはコンビニがねーんだよ」ってボヤくアホウと同じ。山にキャンプに行って「トイレは水洗じゃなきゃイヤ!」というおバカな女と同じ。

  どーしても守りたいならお前が率先してやんばるのことは忘れなさい。でなきゃ、「みんなヤンバルを立ち入り禁止にしよ~!」ってキャンペーン張れよ。

    那覇のコンビニでおにぎり買って、やんばるの大自然の中で、「いや~、こんなとこで食う昼飯はウマいな~」なんて言うんだろ?偽善者が。マジ嫌いなタイプです。それに、このコラム書いた者は縁側よりも程度が低い。作文苦手なのに記者やってる典型だな。それは、このコラムの最初と最後読みゃわかる。まず最初。


    >名護博物館で先日開かれた野鳥展で、ノグチゲラやヤンバルクイナの剥製を見た。生きている実物を見たいが、生息環境に影響を与えないよう我慢したい


      :それから最後ね。 


    >希少生物に思いをはせ、慎重にのんびりドライブを楽しみたい。数が増えれば見ることができるチャンスも増すのだから。


      :見てーのか、見なくていーのか、どっちなんだよ!




 続きまして、昨日31日の同コラムを。以下転載します


  闘牛の蹄(ひづめ)に鎌やノミで隙間をつくる。その作業によって足の裏がポンプの役割を果たし、血の巡りが良くなるという。削蹄師(さくていし)は闘牛の健康状態を見ながら約3カ月に1回蹄を削る

▼フリーカメラマン久高幸枝さんの写真集「闘牛女子。」(ボーダーインク)が、その地道な作業を紹介している。勢子(せこ)として辣腕(らつわん)を振るう女性や、増加著しい女性観客。ほかにも飼育管理、牛の鍛錬の様子など、写真一枚一枚が闘牛の奥深さを伝える
▼取組は数秒で決着がつくこともあれば、30分を超す熱戦もある。大会前には勢子らが対戦牛の性格や癖、体調などを徹底的に調べ上げて戦術を練る。晴れ舞台までの関係者の熱意が大会を盛り上げている
▼県内では年間約30大会が開かれ、その8割はうるま市にある石川多目的ドームが会場だ。闘牛のメッカをどう生かすか。市商工会が行った市内36事業者へのアンケートでは「闘牛を活用した地域活性化事業」に8割が興味を持つ
▼闘牛アナウンサーの伊波大志さんは「那覇空港に闘牛ブースを設置したい」「ビール会社と連携した大会を」と提案する。若手ならではの熱意あふれるアイデアだ
▼年季の入る地道な作業あり、熱血闘牛女子あり、若手の意欲的な提案あり。闘牛を取り巻く人たちの情熱が観客を沸き立たせ、地域に彩りを添えている。観光に生かさない手はない。(転載おわり)


   もうね、ほんと涙が止まらない。前日に絶滅危惧種の野生動物を守ろう!というコラム。翌日には動物のケンカで金儲けってか?(T_T)/~~~ 医者紹介してやろーか?


   闘牛に関しては、やりたい人がやればいいと思ってるんだけど、でも観光メニューにというのは、闘牛について知ってていってるのか・・・・。


   石川の多目的ドームでよくやりますが、たしか「母の日」の大会はデカかったのかな。最近では家族連れや米軍の米人家族も見かける。これは主催者の知恵で、来客者に抽選で豪華景品が当たるんだよ。何とかモータースがクルマを提供したりね。それ目当てでくる人が近年増えてきた。抽選が終わるとさっさと帰る人もけっこういるわけだ。で、闘牛なんだが、かなりの金額を勝負に賭けてるのはご存知なのでしょうか?闘牛の勝負にお金を賭けてないなんてことはありえないんですが・・。本土から大金持ってきて賭けてる人もいるんですが・・。


  いや、それがダメってことではないよ。琉球新報がカジノ誘致に積極的ってんなら別にいいわけ。そーなの?

  観光客のてまえ、現金のやりとりは自粛したとしても、それらは裏でってことになる。いいの?


  言っとくけど、数百万なんてザラに動くからね。その日だけで一千万稼いだってのもある。いいの?


  何度も言うけど、カジノ誘致に賛成ならばいい。観光客も巻き込んで、金のバラマキ合いは楽しいだろう。

  金を賭けない闘牛なんてありえないからな。マージャンやるのに金賭けない人いないだろ?琉球新報が違法な賭博行為を容認するってんなら別にいいんだけどね。どっかの誰かさんみたいにガミガミ言わねーよ。でもね、それ容認しちゃうと、我が日本共産党沖縄支部の逆鱗に触れますよ(T_T)/~~~



   上の二つのコラムを紹介したのはね、これ書いた人たちが、世間を知らなすぎるってことを言いたかったわけ。おそらく子供の頃から「優等生」に属する人たち。ここ沖縄ではこのカテゴリーに属しちゃうと、「沖教組な人」になってしまう。ですから、優秀な人が書いたコラム、として読んじゃうと脳みそに異常な神経が発生する。


   結局、ヤンバルクイナを守るだなんだは、こいつら勘違い野郎を満足させるネタってことだ。闘牛もね、蹄がどーだ、ツノがどーだなんていうけど、それって「相手を傷つけるための武器」なんですが・・、いいの?


  ついでに言うと、闘鶏なんかは知人の893の人が大好きで、何度か見ました。大金賭けてましたね。




 


 どーも空梅雨のようだ。毎日暑いな。踏ん張りがきかない・・・。トシなのかね・・(T_T)/~~~

 家じゃ県内紙とってないから見落としてたのだが、病院に行って読んでみると昨日の琉球新報コラム「金口木舌」がまた香ばしい異臭を放ってるな。結論からいうと、どの口が言ってんだ!というところ。掲載します。

  電車に乗っていたイスラム教徒の女性が、かぶったスカーフ「ヒジャブ」をそっと外した。イスラム過激派の思想に傾倒する加害者による立てこもり事件が発生し、反イスラム感情の高まりが懸念されていた時期だった。豪州シドニーでの話である

▼乗り合わせた別の女性が、駅で降りたその女性を追い掛け「一緒に歩くからヒジャブを着けて」と声を掛けた。女性は涙を流して声の主を抱き締め、1人で去って行った
▼2014年12月、インターネットの短文投稿サイト「ツイッター」にこの話が投稿された。それを機に「私があなたと一緒に乗ります」というハッシュタグ(キーワードで検索できる目印)が付き、国内外で共感の輪が広がった
▼凶悪な事件が起きると、誰しも加害者への怒りの感情が湧き起こる。憎悪の矛先が加害者と近い宗教や人種の人たちに向かいがちな中、寄り添う姿勢を見せた女性の勇気は尊い
▼米軍属女性遺棄事件後、軍人・軍属を夫に持つ女性やその子どもたちに差別や偏見が広がっていないか懸念する。ただでさえ子どもは髪や肌の色の違いからいじめの対象になりやすい
▼最も心配されるのが加害者の家族だ。ある意味加害者の妻子も被害者である。あなたのそばにいる国際結婚をしている友人や外国人らに、豪州の女性のような気持ちで接しよう。彼ら彼女らに罪はないのだから。(転載おわり)


  前半部分は心温まるお話で、人種や宗教差別はやめよう!ということのようだが、新聞のコラムというやつは、そこから無理くりカンケーない事柄に結び付けて完結へと進んでいく。


  >▼米軍属女性遺棄事件後、軍人・軍属を夫に持つ女性やその子どもたちに差別や偏見が広がっていないか懸念する。ただでさえ子どもは髪や肌の色の違いからいじめの対象になりやすい


   :それはその通り。関係ない者がたまたま皮膚の色の違いというか、容疑者と同じ黒い皮膚だからというのか、人種・宗教で差別はNG。でもね、琉球新報は米軍人の家族がゲート前でヘイトスピーチ攻撃されてるのは無視してるようだからなー。アタマの運動が不足気味なの?


  >▼最も心配されるのが加害者の家族だ。


    :は?最も・・・ は?。この事件となんの関係もない、なんの罪もない黒人や米軍属を「最も」心配しろ、ドアホ! 


  >ある意味加害者の妻子も被害者である。


    :縁側は、前々回のエントリーでこう書いた。「今回の事件でもしもシンザト妻とその子供に対して「あなた方も被害者よ」なんて軽口たたく反基地反米のクソッタレがいたとしたら舌を切ってやれ。」

    私にはなんか他の人と違った特殊能力があるようなので・・・というより、クソサヨクの言い出しそうな言葉なら簡単に予想できちゃうんだよね。


   「加害者の妻子も被害者である」 もしも妻子が日本人でなく、目の色が青かったり、皮膚が黒くても同じコラムを書いたと思う?琉球新報に限ってそれはない。こいつら根っからの差別主義者だからな。ようは、こういうことだ。「妻子は沖縄人だから、米軍属の事件でウチナーンチュ同士争うのはダメ~!」ということ。妻子が米人ならこんなコラム書かねーよ。

  シンザト容疑者が仮に犯人だとしたら、彼の家族は社会的制裁を受けねばならない。かわいそうだけどな。何度も言うようだけど、人を殺すということは、自分の所属してるコミュニティーを破壊し、家族を崩壊させる。それだけではなく、そのコミュニティーに所属する他の人も家族も迫害を受けることになる。これは善悪ではない。これは人類が歩んできた歴史そのもの。


   もちろん縁側は犯人の家族に攻撃することはしない。ってどこにいるのか知らんしな。でも、誰かが差別したり、いじめたり、非難したり無言の圧力があったりするかもしれん。それを縁側は必然だと思っている。この世で生きていくからには、守らねばならないルールがある。法律では挨拶しなければならない、とは書いてない。だけど、それをしない者は差別されるし軽蔑される。法律より上位といえるそれの正体は「世間体」。世間体は何も体裁を取り繕うという意味だけではない。我々が生きていくうえで、守らねばならないことを端的に表した言葉。例えば、縁側が人間のお肉を噛みたい欲求にかられても、それはベッドの上か風俗店でしかやらない(T_T)/~~~それは世間体があるからだ。「ある」というより「いる」といったほうが近いのかもしれん。生き物と同じでね、時代とともに変態していく。ひと昔前、日本人は外でチュウなんかしなかったんだぞ!ところが現在はあちこちでチュウチュウしてやがる。「世間体」が変態してるってこと。だけど、「殺人」だけは相変わらず最悪の行為なんだ。これを軽くしてしまうと、社会全体が危険になる。だから・・・ってことだ。もちろん、もちろん、家族に罪はない。でもね、例えばシンザト妻が近所の人や知人に元気よく「おはよー!」とかいって、明るく元気な態度をとったら世間体という生き物は許さない。「なんだこいつ」となる。


  それがはっきりわかるのが映画「楢山節考」。視た人多いと思うけど、視てないなら視てね。日ごろ仲良くしてても、禁を破ればどーなるか・・・。その厳しさがあるから今を生きられる。まっ、そーいうことだ。


  それにしても、琉球新報の記者ってーのは、ほんとクズばっかりだな。


  余計なことかもしれんが、いちおう言っとくか。ボギー手登根さんの「沖縄の声」に出てくる大山ゲート前でジュゴンの帽子かぶってる丸いオジサンいるでしょ?あれは「元革マル」の活動家なのでした。って余計か(T_T)/~~~


  ここ数日、寝つきが悪い。うるま市の事件のせいだ。あまり考えないようにするのだが、ついアマタをよぎる。

  前のエントリーで、日本人には民主主義は合わないと書いた。実際に合わないのですが、こんな声も聞こえてくる。「今現在、日本は民主主義国家じゃねーか!お前バカか?」というもの。

  日本は民主主義国家ではありません。これは民主主義の誤解でしょう。「民主」というくらいですから、国家の主は国民ということです。そこは共通認識でいいよな?

  選挙で我々の代表を決め、議会で税金の使い途を決め、外国との条約なども代行してもらってる。いわゆる関節民主制というやつだな。うまく機能してるようだから民主主義だという人もいるだろう。それはそれで間違いではない。もちろん民主主義的でしょう。でもそれは一部でしかない。それをもって民主主義だと言い張るのは無理がある。

  国家権力にはたしか大きく分けて三つあったよな。そう、司法権、立法権、行政権の三つだ。民主政治の上で重要な権力ですが、三権が独立してその権力を行使できることから、三権分立といってるようだ。なんか社会の授業みたいね<m(__)m>

  わが国でも三権が独立してますよ、といちおう学校では習ったのですが、首相公選制度もない、もちろん大統領制でもない我が国では実は二権分立でしかない。行政(内閣)と立法(国会)の権力は、単独政権であっても、連立政権であっても、当該政党に集権化する。現在は、自民党と公明党の連立政権ですから、この二権はこれらの政党の手中にある。

  米国なんかは、その点大統領制を敷いているから、きっちり三権が分立してます。大統領(行政)、議会(立法)、連邦裁判所(司法)という具合だ。それに大統領には議会に対して拒否権もある。議会で成立させた法律への署名拒否だな。あと、大統領が議会に「こんな法律作れ!」と指示できる。もちろん議会側(立法側)にも拒否(無視)できる権利はある。では司法はというと、独立してるだけでなく、連邦裁判所の裁判官(判事)は大統領が任命し、議会が同意しなきゃならん。権力の分立がはっきりしてる。

  前置きが長くなりましたが、ってもういっぱいいっぱいでちゅ、疲れた"(-""-)"

 前のエントリーの地位協定に触れたとこで日本は民主主義に合わない。と書いた。
 それは、司法を見れば一目瞭然でしょう。
 前エントリーでも書いたが、世界最先端の民主主義国家である米国なんか、証拠あり、自供あり、科学的根拠あり、目撃者ありと誰がどう見ても犯人なのに、無罪がでるケースがある。事務手続きの不備だよ。あるいは違法性の高い捜査が少しでもあった場合もね。LA市警で白人警官数人が黒人青年をめった打ちにしたことから違法捜査が明るみになったこと記憶してる人も多いはず。警察の捜査が法に少しでも抵触してたらアウト。いくら証拠が正確でもアウト。日本は今でも可視化がどーだとかいってるわけだ。よくハリウッド映画なんかで、逮捕された者が「弁護士呼んでくれ」なんて言うね。日本でもそれはできるけど、ほとんどが国選でしょう。

 民主主義を標榜するうえで最も大事なことは「国民の権利」。日本国憲法でも13条で立法や国政の上で最大限尊重される、とある。公共のなんちゃらとか入ってるけどね。では我々はそれを最大限行使してるでしょうか?

 例えば、カレーに毒入れて何人か忘れたけど死亡させたとして林という女性が死刑判決を受け確定していますね。あれね、状況証拠だけですよ。裁判官も「この女以外に毒入れることのできるのいないもん」と決めた。日本では、「当然だ」とか、「とっとと死刑にしろ」とかの意見が多くでますが、米国で同じ事件が起きたとして死刑判決が出るでしょうか?状況証拠だけ、目撃者なし、毒物も被告のものと断定できない。それで死刑にできるのか。大いに疑問であります。私見ですが米国なら無罪かもしれない。

 日本では、マスコミの報道でもそうですが、逮捕イコール犯罪者という空気を作ってしまう。実は、これこそが民主主義国家ではない証拠。だって容疑者は日本国家の主(あるじ)ですよ。犯罪者ではない主権者なのです。しかし、マスコミの報道姿勢を受けて巷間では「あれが犯人」と断定してしまう。これは警察情報からマスコミが流す報道からくるのですが、警察は「こいつがホンボシ」として捜査する。当然、公判に耐えうる証拠を見つけてくる。それが時には証拠ねつ造などで冤罪を生むわけだけど。

  刑が確定するまでは、その被告は主権者の一人なのです。ですから、被告は拘束される以外は我々と同じ主権者で様々な権利を有している。ここを理解しない限り、米国並みの民主主義には近づけない。

  拘束しているのは警察(行政権)であり、検察(行政権)であります。その国家権力に対抗するために弁護士がつく。そして司法の場で被告の主権者たる立場を守る戦いが繰り広げられるわけ。これはオウム事件でも同じ。我々はとにかく麻原を死刑に!という空気をつくることとそれが達成されることに興味が集中したが、主権者が拘束され、尋問され不利益を被っていないかなどはアタマにない。非民主主義的ということ。

 司法の場では、検察という行政側が被告を犯罪者にするために様々な証拠を提出する。証拠調べというやつだな。その証拠がどこからチェックしても正確な証拠か調べる。弁護士は証拠の信ぴょう性を疑い検察のあら探しをする。それを最終的には裁判官が判断するのですが、最近では裁判員制度で国民が直接裁判にかけるようになってますが、本来の趣旨としては、主権者たる被告の権利を守る意味がある。しかし実際はそのような精神状態ではなく、「公正な目」で裁くべきだと思っている。これも勘違いだ。公正な目を持つではなく、被告の主権者たる権利を行政(検察)が侵害していないかをチェックしなければならない。つまり、被告に寄り添い、被告側に立って、行政(検察)が犯罪者にしたがって提出してる証拠を吟味しなければならないのです。

 ですから、マスコミ垂れ流す恣意的な情報に左右されてはいけないし、あってはならない。

 上で書いたのが「民主主義」の一例なのですが、こと犯罪に関して我々日本人は時代劇などで洗脳されている。遠山の金さんなんか、おとり捜査して、潜入捜査して、大捕り物で拘束して、お白洲で尋問して、判決を言い渡してます。これは、警察(行政)と検察(行政)と裁判(司法)をたった一人でやってるわけ。それを拍手喝さいで視てるわけですからね、小さい頃から。水戸黄門だってそう。天下の副将軍かなんかしらんが、全国津々浦々に赴き、巨悪を成敗してます。これは東京地検特捜部の仕事と司法両方をあのじーさん一人でこなしてるわけですよ。さて我々に民主主義って合いますか?

  林死刑囚を助ける運動が安保法制のときの運動並みに起きますか?それないでしょう。「悪党なんだからいいんだよ」ということでポイ。

 冤罪などでお年を召されてから無罪になった人が身内ならどうでしょう。今までどれだけの冤罪があったのか・・・・なんて考えると恐ろしくなります。これは、カタチだけ民主主義を装って実は、民主主義でもなんでもない我が国の在り方の問題。民主主義国家を目指すならそのように教育しなければならないのに、それをしてないんだもの。もっと言えば、我々にはこのような感性というのか感覚は難しいと思うぞ。合わないと思うぞ。

 だったら何がいいんだ?と問われてもそれは困るんだけどね。とりあえず現在の中途半端な状態はどちらにしてもよくないでしょう。

  みなさん、お久しぶりです。お元気でしょうか?梅雨空でじめじめした天気ですが、いかがお過ごしでしょうか。それはそうと、うるま市で女性暴行殺人事件が起きましたね。ひどい事件です。

  この事件の対応について一言だけ言わせてください。

 容疑者のシンザト・ケネフ・フランクリンさんは、米国籍の男性、沖縄人の妻(国籍は知らない)と乳児が一人の三人家族で、与那原町に住んでる。職業は嘉手納基地内の業務委託企業の会社員で元海兵隊員。プロフはこんな感じだよね?いいよな。

 事件の経緯等はみなさんのほうが詳しいでしょうから割愛します。

 このシンザトさんさー、いままでにも婦女子に対する暴行あったのかなー?それも明らかになるんでしょうが、どうもこの事件やら、前に那覇市内のホテルで起きた米兵による暴行事件やらでの周辺にいる連中の対応が腑に落ちないんだよね。

  那覇市内のホテルでの暴行事件ですぐさま四軍調整官が翁長知事閣下に対して謝罪しましたよね。なんで被害者に謝罪しないの?もっと言うと、なぜ仕事中でもないのに職場の上司が謝罪するのでしょうか?
 今回の事件でもなぜ四軍調整官は出張中の翁長知事閣下の代わりの安慶田副知事に謝罪したのでしょうか?
 「謝罪に来い!」ということではおそらくないのでしょう。自発的にとった行動だろうけど意味がわからん。それにね、刑が確定しないうちに謝罪ってどーいうことだよ。わけわかりませんので、誰か教えてちょ。まぁ、反基地感情を抑え込む狙いがあるんでしょうがね。

  ネットの記事では「謝罪と補償」という見出しまである。おいおい、誰が補償するんだ?誰に?米国?日本政府?ほんとバカじゃねーの。補償はね、もしご遺族が求めるならだけど「シンザト妻」にしてもらいましょう、家屋敷売ってでも金工面したらよい。じゃなきゃ米国にいるおかあちゃんに請求しましょう。刑が確定した場合でご遺族が望むならだけど。

 一般論でいえば、今回の事件で反基地感情は高まります。前にもいったが、このような事件がたびたび起こると取り返しのつかない事態になります。基地に対して意見を持たない者も反基地になる。もちろん個人の犯罪はどこまでいっても個人の犯罪。でも、ここ沖縄では歴史的経緯からその「常識」は通りにくい。

 オスプレイ落ちろ!と叫ぶ反基地運動員の心と同じで、今回の事件を利用することに躍起になる連中はさっそく行動に出ているのでしょう。

  「基地あるが故の事件」とは使い古された言葉ですが、その魔法の言葉を沖縄全体、日本全体にふりまく行動にでるのだろう。

  このシンザトさんが犯人だとしたら、チンポたたっ切りアヒルに食わしたらいいと思うし、家族の手で八つ裂きにしたらいいと思う。

  米国籍ということは「外人」ですね。よそ様の庭では礼儀を守るのが当たり前ですね。それができない連中は、朝鮮半島系も含めて出て行ってほしいもんだし、地元民が私刑にしてもよい。それが「田舎のローカルルール」ですよ。

  縁側が子供の頃、復帰前のことですが、コザの街では、不良米兵を相手に「人民裁判」と称して、複数人でボコボコにしていた地元青年団がいたらしい。「判決を言い渡す。私刑!」とかいってね。このような法律を無視した者らがこれから現れないとも限りません。これは理屈じゃねーんだよな。「おらが村」を守りたいという気持ちが暴挙に出る者らを支配してしまう。

  今回の事件でもしもシンザト妻とその子供に対して「あなた方も被害者よ」なんて軽口たたく反基地反米のクソッタレがいたとしたら舌を切ってやれ。彼女(シンザト妻)には悪いが、石を投げられても仕方ないと思うぞ。被害女性の家族にボコボコにされても仕方ないと思うぞ。それもローカルルールだ。何らかの社会的制裁は受けてもらう。沖縄には安住の地がないくらいでちょうどよい。被害女性の供養にもなる。人を殺すということは、そこまでのことだという戒めを社会が認識しなきゃならんからな。

 同棲中の彼氏と結婚して、幸せな家庭を築いていくという人生設計を根こそぎ葬られた被害女性と家族の心中を察するとほんといたたまれない。このシンザト氏が犯人なら、自殺に失敗したことを後悔するくらい苦しめてから死んでもらいたいもんだ。

 それにしても。月曜日に翁長知事閣下と安倍首相が会談を持つらいしいのだが、???ですよね。何を話すんだ?誰が希望した会談か知らんが、なぜ国と県の行政のトップが・・・。意味がわからん。まぁ、これも「抑え込み」ってことか。ズレまくりだな。

  この事件を受けて日米地位協定に言及する者がいるけど、それもズレてる。関係ないもんね。在日外国人というだけですからね、このシンザトさんは。それに、地位協定云々をいうのなら、容疑者の段階で犯人扱いし、有罪率が99%以上の我が国に対して、民主主義を標榜する米国が鍛錬を積んだ米兵を簡単に差し出すような改定に応じるとは思えない。だってね、日本じゃありえないことだけど、殺人事件があったとして確実にこの人が犯人で証拠もバッチリ、目撃者の証言も一致、DNA鑑定も合致、自供もとれた、どこをどうみてもこの人が犯人だとしても、法務手続きの不備ひとつで無罪判決が出ちゃうんですよ、米国は。日本人には理解できないですよね。でもね、このような米国こそが「立派な民主主義国家」なんですよ。詳細はまた今度ね。結論をいうと、我々の持つ常識は民主主義には合わないのですよ。ですから、米国に地位協定の改定を迫るのも限界がある。米国側からしたら現行でも精いっぱいの譲歩なんじゃねーのかな。

  沖縄は県議選も近いですが、今回の事件を利用する候補者、選挙用の横断幕をガードレールにつりさげている候補者、こいつらに投票することのないようお願いします。

 

 
   多くの人はクルマを運転する。交通法規があり、皆さんがそれを守って安全で快適なドライブができる。ところが、中には初心者や高齢者など、状況判断が鈍い人もいるし、的確な判断でクルマの流れに苦も無く乗っかれる人もいる。フツーに運転できる人の中には前でトロトロ運転してるとイライラする人結構多いんじゃないでしょうか。

  イライラする人って、自分は「ダメなドライバー」だとは思っていない。上級とは思わないまでも、下手くそだとは思っていないはず。自分はちゃんと運転してるのに、前から走ってるコイツはなんてダメなドライバーなんだ、と思うわけだ。それで、あおったり、クラクション鳴らしたりする。

  ところが、もしも自分が運転技術も未熟で状況判断も鈍いダメドライバーだったとしたらどうでしょう。恐ろしくて路上に出るのを躊躇するかもしれません。「フツーに運転できる自分」がいるから、安心して路上に出れるのです。そしてフツーと自覚できるのは、自分よりも劣ってるものの存在を確認したとき。

  縁側は思います。自分が苦もなく冷静かつ安心して運転できるのは、最低レベルのドライバーではないから。よって、前でとろとろ運転の人がいても怒らないようにしています。なぜなら、「この人みたいな人がいるから自分は普通かそれ以上の技術を持つドライバーだと自覚し、安心して運転できるんだ」と思うようにしています。ほぼ聖人のような縁側にお布施をしなさい(ToT)/~~~

  身近なとこでは、フツーの顔立ちの子がブスを見て安心するのと同じ。電車の中で化粧してる女のほとんどが、「自分は並み以上」と思っていたりする。

  辺野古問題をテーマにした朝まで生テレビで、県内の起業家かな。樋口さんとかいう人が、「沖縄では最初、クラクションが鳴らないことに驚き、マナーの良いとこだと思った、しかし、それは間違いで、クラクションを鳴らさないのではなくて、鳴らせないということがわかった」ということを言ってた。どーいうことかというと、ダメなドライバーがマズイ運転をしてたら本土ではクラクションを鳴らす。そこで周りの者は「いいぞ、もっとやれ~」というふうに、マズイ運転をしてるドライバーを非難するのだが、沖縄では同じ状況でクラクションを鳴らすと、鳴らした人が非難される。というようなことを言ってたと記憶してるのだが、樋口さん、あなたも前述のことでいえば、並みか並み以上のドライバーだと自分を信じているのでしょう。でもね、沖縄VS本土の括りで言うには無理があるというのか、多くの人に失礼である。

  そもそもクラクションってむやみやたらと鳴らしたらダメだと交通法規を勉強したとき習わなかったのかね。まぁ、沖縄人の特異性をいうためのたとえ話であることはわかるけど、テレビでいうことじゃない。

  樋口さんの言を借りて縁側がいえば、例えば沖縄人は時間にルーズです。「沖縄タイム」という言葉があるくらいでそりゃ時間にルーズです。本土から転勤してきた人が、まず戸惑うのがこの時間の観念のなさ。もっとも最近では少しずつ「日本化」してきたようで、時間を守る人が増えてきたように感じる。

  それでも、まだまだのところがあるらしく、転勤してきた人たちを悩ませているらしい。

  でもね、それは「自分たちが正しい」という自信があるからお悩みになるわけでして、リスペクトしてよ~~く見てみなさいよ。例えば、飲み会で1時間遅れたからといって険悪な雰囲気になる沖縄人はいない。これは絶対いない。2時間遅刻でも怒らない。これも絶対だといえる。どーです、いいとこでしょ?(ToT)/~~~

  これから飲んで楽しもう、楽しんでるときに遅刻してきた人がいるくらいで、ビィビィ怒るのは沖縄ではカス野郎となる。飲み会の目的が「楽しむこと」なのに怒っては本末転倒で、飲み会なんてやらなきゃいい、と、沖縄人は思うわけだ。縁側はそんな沖縄が大好きです。

  もちろん、ビジネスシーンでの遅刻は許されないので、これは叱責されても仕方ない。沖縄人はこのへんの切り替えが苦手なんだよな。

  縁側は、転勤などでこちらに住み始めた人の多くから、「時間の感覚が我々とはねぇ・・・」なんてことをよ~~く聞く。そこで言って差し上げる。「ここに数年住むことになるのなら、沖縄に合わせることも大事ですから、私の言うことを聞きなさい。まず、沖縄人を待たせろ!キミが逆に遅刻していけ」という。そして、「そのとき沖縄人は絶対に怒らないよ、それを感じなさい。それが沖縄の心というやつです」と言っている。

  「遅刻した者は絶対悪であるのだから、言いたい放題怒鳴ってもいいんだ、それを周りの者も理解してくれている。」
  縁側はその理屈は、上でいったドライバーと同じだと思う。運転して安全に目的地につくということが大事なのであって、ダメドライバーを非難したことによりトラブルになるのはバカらしいと考えるのが沖縄人。せっかくの飲み会なのに怒ってもしょうがないから、遅れてきた人も楽しく飲もうぜ、というのが沖縄人。

  もちろん、キチンと運転できない者が悪いし、待ち合わせに遅刻する者が悪い。そんなことは言われなくてもわかってるんだよ。その上で赦す。お互いを赦し合う。沖縄人がもともともっている気質とはそういうものなのです。最近は変わってきたように感ずることが多々あったりするが・・・・。

  沖縄人は、自分たちの良いところを「我々のこーいうとこがいいんだ」ということを発信するチカラが足りない。

  例えば、沖縄人は飲み会がおわり、二次会にいくとき、そこが極端に近場でもタクシーに乗る。それを本土から転勤してきた人たちは奇異に感じるらしい。そこで「キミたちそれはおかしい、歩いてすぐじゃないか、歩こう」と言われてすごすごと歩くわけだ。縁側ならこういうね「せっかく一次会で一人数千円も払って盛り上がってるとこなのに、歩いて興ざめして、二次会でまたゼロからスタートでは知恵が足りない。一次会の場を出てすぐにタクシーに乗る。そこは個室だからタクシーの中で盛り上がった雰囲気を維持して二次会に突入すれば無駄がないでしょ。」とね。それが沖縄の心です(ToT)/~~~

  話を戻すと、並みか並み以上だと自覚して自信を持つのはいいのだが、並み以下の人を非難することを正当化できる心性というのは、どうも好きになれない。

  「イジメられる者にも問題がある」とはよく聞く話。これも上と似たようなことのような気がする。自分は並みの子で特別に突出してはいない。体型も顔も友人との付き合いもまぁふつう。そのように自覚できるのは、体型が他の人と著しく違う者や、顔立ちがこれまたブーの字とか、いつも一人でいるとか、そーいう人を見て安心している。残酷な先生は「二人一組ですから好きな人同士でペアをつくってください」なんていう。

  フツーでない者は浮いてしまう。それを攻撃する者らが出てくる。イジメだな。上のクラクションを鳴らすことと似てたりするのだが、攻撃してくる者らはそれを正当化してしまう。「運転下手くそだから」、「こいつデブでキモいから」。

  美人はブスに感謝しなければいけないし、運転技術が人より劣ってはいないと思ってる人は、下手なドライバーにやさしくなりましょう。それが「沖縄の心」であり、実は日本人の特徴のひとつと思う。

  それからいけば、憲法の前文で保守系の人から批判される「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という一節ですが、人々が生きていくためのすばらしいメッセージであるともとれる。
  

  

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